ビルを建てるところからスタジオを作ることができた
- スタジオチャプターハウスは今年で開業25周年を迎えるそうですね。
はい、このスタジオを作ったのは僕が丁度30歳の頃でした。僕は元々キーボーディスト兼トラックメイカーで、自分の曲のミックスはしていましたがエンジニアとしてスタジオに勤めたことはなかったので、ドラム録りなどはしたことがなかったんです。そこで当時キリンジやピチカート・ファイヴのバックをやっていたスタジオミュージシャン達の演奏を録らせてもらって、それを叩き台にしながら覚えていきました。「ギャラを払うから叩き台になってくれない?」「録音がうまくいったら自分の作品にしていいから」って言って(笑)。第一線で活躍中のスタジオミュージシャンが大勢来てくれたのですが、最初はやっぱり「俺らを叩き台に使うなよ」とか「若いやつ使えばいいじゃん」くらいのことは言われましたね。
- ここでは海外の大手スタジオを意識した音作りができるそうですね。
僕は元々80年代初頭のニューウェーブやエレクトロ系から入って、初期の Depeche Mode や THE HUMAN LEAGUE だったり、ヨーロッパのネオアコなどマニアックな音楽が好きで、実は邦楽をあまり通っていないんです。スタジオ名の「チャプターハウス」はイギリスのシューゲイザーバンドから取ったので、知っている人はすぐに気づいてくれます。シューゲイザーバンドのレコーディングは、うちが日本一たくさんやっているかもしれません。cruyff in the bedroom という日本で一番有名なシューゲイザーバンドもここで録っていますし、彼らのレーベルのレコーディングも色々やっていますから。シューゲイザーはギターを10何本も録ることがあるので、ギタリストが家で録ってきた音源をここでリアンプしたり、ミックスだけを依頼されることもあります。もちろんシューゲイザーに限らず、洋楽サウンドならラウド系でもポップなやつでも大体どれもOKです。
- 樫村さんが目指す洋楽のサウンドとは?
密度が濃くて、奥行き感があって、パワー感や音圧感はあるけど、まったく背伸びしていないスーパーナチュラルな感じです。特にラウド系は、ギターがギンギンに入っていても輪郭が潰れずに歪んでいるのが洋楽サウンドの特徴のひとつだと思うんです。日本で普通にレコーディングすると、マキシマイザーでパキパキに潰れちゃって、その差はそう簡単に埋められないのがなんとなくわかっていました。その辺を意識して、ビルを建てるところからスタジオを作ることができたので、テナントを借りるよりも実現の可能性は全然ありましたね。スタジオのレイアウトやサイズを決めて、それに合わせて建物を作っていくような感じでした。
- スタジオを作る際に重要視したポイントは?
やはり録りがちゃんとしていないことには、最高レベルの音源を作るのは無理ですよね。なので部屋鳴りと電源です。10万円以上のハイエンドな電源ケーブルやクリーン電源を導入したり、アースの取り方も工夫しました。欧米だと電圧が高いので、あまり工夫しなくてもすぐにいい音が出るんですよ。電源の条件がいいから、放っておいてもワイドレンジになりやすい。ところが日本だと、1千万円くらいかけて一番いい機材を導入したり、プラグインをたくさん入れたり、Pro Tools の最上級のインターフェイスを入れても、普通にやっているとあの音は出ません。機材が良くても、そのままだと潜在能力の半分くらいしか発揮できないことが多いんです。電源を強化することによって、100%の潜在能力が発揮できる可能性が高まります。
- では、部屋鳴りにはどんな工夫を?
部屋の形状を八角形にすることで、音が自然に回りながら減衰するようにしました。これで特に低音が溜まらないようになります。場合によってはさらに整音ボードを立てたり、吸音材をフリーに置いて、セッションごとに音響を軽く調整します。部屋の角に置いたり、壁の前に置くなどして、できるだけ狙っている音を出せるようにしています。
- ブースも八角形ですね。
そうです。それと天井の高さも大体3.3〜3.5mくらいにしました。普通のテナントビルだと、防音すると部屋がひと回り小さくなるじゃないですか。結果、天井の高さが2.5mくらいになってしまうんですね。これが僕の考えるギリギリの高さで、これより低いとドラムのオーバートップがこもったり、ピアノやバイオリンもハイが訛ってしまいやすい。広さや形状にもよりますが、最低3m以上ないと開放感のある音が録りにくいですね。
Z5600a IIは真空管マイクのエース的な存在
- 機材選びにあたっては何を重視していますか?
よくフラットな音がいいって言われますけど、「フラット」って人によって解釈が違う気がするんです。例えば、フラットだけどレンジが狭いマイクもあるし、逆に Neumann のマイクはフラットではないけど、レンジがそこそこ広くて音楽的な音がするから音像が前に来やすい。だから定番になったと思うんですよ。僕がよく使う sE Electronics(以下sE)のマイクはレンジが広いまま、やや硬めな感じでフラットという印象なんです。特に sE2300 とかね。だから特に男性ボーカルにすごくいいし、ピアノにも合います。真空管マイクの Z5600a II や Gemini II なんかは、もう少し柔らかくてフラットな感じ。女性ボーカルなら Z5600a II のウォームな感じが合います。歌録りの時はいつもキャラクターの違うマイクを2本立てて、ボーカルに歌ってもらって「どっちがいい?」って聞くんですよ。そうするとほぼ9:1の割合で sE になりますね。Neumann の高級モデルと Z5600a II を試してもらうと、みんな Z5600a II の方がいいって言います。Z5600a II はうちの真空管マイクの中でエース的な存在ですね。
- すごい実力ですね。
値段の1桁上くらいの音が出る可能性があるというか。sE 製品はどれもそうですが、値段の倍以上の価値があるような音が出ます。コストパフォーマンスがすごく高い。音圧に強いモデルが多いので、あまりPADをかます必要がないのが大きいですね。PADをかますと確かに音は割れにくくなるんですが、その代わり、どのメーカーの製品も音が細くなってしまうんですよ。そういう点で sE4400a も結構音圧に強くて、音も好きなので導入しようかと思っていましたが、ほぼ同じ形状の T2 の方がさらに良さそうなので、今年は T2 を最低1本は購入しようかと思います。
- sE4400a と T2 の違いはどんなところですか?
sE4400a は重心が上に寄った感じがあるのに対し、T2 はクセがなくて、伸びているけど力強さがある。これこそオールマイティに使えそうです。それと、以前は sE2300 の旧モデルである sE2200a II を2本持っていたんです。Amy Winehouse が使っていたというモデルですね。彼女の音源を聴いて、これはかなり良さそうだと思って買ってみたら、実際は値段の5倍くらいの実力がありました。一番多い時で sE2200a II を2本、sE2200 を2本、sE2300 を1本の合計5本所有していて、モデルによって微妙に音質が違いましたね。
- これまでに sE のマイクを多数使ってきたのですね。
併設しているリハスタの方では、ハンドヘルドマイクの V3 と V7 も使っています。フォルムがかっこいいのと、Shure SM58 より全然音がいいので人気がありますね。あと、バンドマンに「何かいいマイクありませんか?」と聞かれたら X1A を勧めています。1万円台で買えるのにこんなにすごいのかと、みんな感動しています。とにかく結論としては、Neumann のどのマイクよりも Z5600a II の方が実力は上でした。一般ユーザーはそこそこ安くて使えるものを求めている人が多いと思うんですよ。アマチュアの中・上級者なら7〜15万円あたりかな。Z5600a II はまさにそこにハマるなと。さらに Vital Audio のケーブルをセットで使うと、よりいい感じになりますね。VAB という白いケーブルがいいんです。20年前の Vital Audio の黒いケーブルと比較してみたら全然キャラが違うし、ワイドレンジになっていて、本当に同じブランドなのかなって思うくらい変化しています。
- どんなキャラクターですか?
低音に魅力があるような気がします。ハイが痛くなく伸びていて、低音がスッキリしているから重心がやや上めな印象はあるんですが、ある程度使っていくと低音の余分な贅肉的な成分が削ぎ落とされて、必要な筋肉的な成分だけがビシッと出るようになります。モヤモヤしているところがなくなるというか、ある程度使ったらそういう感じになりました。やはりエイジングは必要だから、20〜30時間は使わないと本当の実力はなかなかわかりにくいですね。で、値段も7千円程度でそんなに高くないんです。うちではいろんなケーブルブランドのハイエンドモデルを使っていますが、それらの相場は大体5mで12,000〜15,000円くらい。その価格帯のものと比べても、VAB は同じレベルで戦える実力があると思います。とにかく低音の締まり方が良くて、ボヤッとしたところがないので、非常にコスパが高い。確か4芯構造になっているんですよね。今度はギター用のシールドも買ってみようかと思います。
- 5mと2mを選んだ理由は?
うちはいつもプリアンプをブースに入れて、マイクレベルをラインレベルに上げてから、コントロールルームに送るようにしているんです。その方がノイズが乗らないだけでなく、音にパンチが出るんですよ。いつもブースにプリアンプを10台くらい並べて、ドラム録りから何から全部ここでラインレベルに上げます。そうする方が同じ機材を使っても全然音が違います。で、マイクからプリアンプまでは5mのケーブル、プリアンプから壁コンまでは大体2mあれば足ります。なので、5mと2mを1本ずつ買いました。
聴いたことがないような音源を作ろうとすると、定番機材は必要なくなる
- アウトボードについても教えてください。
Manley Dual Mono Mic Preamp や Rupert Neve Designs Shelford Channel などを使っています。Dual Mono Mic Preamp は15年前くらいに買いました。強力なプリアンプを1台購入しようと思って Rock oN Company で色々相談していたら、当時の店員さんが「最近 TUBE-TECH を売って Manley を買った」という話をしていて。それは相当なものだと思って衝動買いしました。サウンドがウォームで、音の芯がしっかりしていて、レンジが広めですよね。シンセなどのステレオソースに使うことが多いです。Roland や YAMAHA の音源を通して1個1個DAWに落とし込む作業をしています。他には歌やドラムのオーバートップ、スネアの上下やキックにも使います。キックにはサブキックとノーマルキックの2本を立てるので。
- Shelford Channel を導入したのは最近ですか?
3年前です。知り合いの海外のエンジニアさんが強く勧めてくれて、Portico シリーズよりも1段階上の音がするという話をしていたんですね。チャンネルストリップが欲しかったので丁度いいなと。で、所有していた Rupert Neve Designs Portico 5024 Quad Mic Pre を売って Shelford Channel を買いました。チャンネル数は減りましたが、Shelford Channel の方がクオリティが高いので、ゆくゆくはもう1台欲しいですね。
- 所有していた 5024 はどんな用途に使っていたのですか?
タムが一番多かったです。丁度4chくらい必要じゃないですか。あとはアコギにマイクを4本くらい立てるので、オフマイクとオンマイクを2本ずつとか、そういう3ch以上使う場面でよく使いますね。グランドピアノを録る時もマイクを3〜4本立てるので、そういう時に 5024 なら1台で収まります。あまりメインではなく、マイクを5〜6本使う時のサブ的なプリアンプとして使っていました。
- 一方の Shelford Channel は主にボーカル用ですか?
そうですね。チャンネルストリップなので、ボーカルやスネアといったメインパートに使います。厳密に言うと、スネアにはマイクを3本立てるんですよ。トップに2本とボトムに1本立てて、トップの片方に Shelford Channel を必ず挿します。トップに立てるのは Shure SM57 タイプと低音用のマイクで、どちらに Shelford Channel を使うかは、持ち込まれるスネアの種類にもよるので、そこは臨機応変に。サウンドはシルキーかつワイドレンジな感じですね。力強さも密度感もかなりあります。お店で相談した時に「30万円以上のアウトボードの中では Shelford Channel が一番売れているかな」と言われたのを覚えていますが、確かにそうだなという感じですね。
- SILKボタンは利用しますか?
5024 にも付いていますけど、プリアンプが違うせいか、もちろんかかり方も違うんですよ。Shelford Channel の方が低音が伸びる感じがするし、高音もワイドレンジです。REDとBLUEの違いは何とも言えませんが、REDはちょっとアナログっぽくなる感じ、BLUEは音が甘くなるけど密度感が濃くなる感じがします。そこは完全に感覚で使い分けています。理屈的なバックグラウンドは最低限にして、あとは感覚でやった方が良い結果が出る感じがします。やっぱりレコーディングって、答えのない作業なので。
- Universal Audio 2-1176 も長年お使いですか?
これは15年くらい使っていますね。Universal Audio 1176LN をステレオで使いたかったのも理由にありますが、決してビンテージのレジェンド的な機材を追い求めているわけではないんです。基本的にそういう定番機材は使わなくて、どちらかと言えば新しいジャンルを作りたい。あまり聴いたことがないような音源を作ろうとすると、定番系の機材は必要なくなります。なので、2-1176 には 1176 的なことを求めている部分もありますが、そうではない部分もあるんです。1176 っぽいコンプを求められた時にはもちろん使いますが、うちに来るアーティストは定番的なサウンドをあまり求めてきません。アンダーグラウンドなものか、新しいジャンルを作ろうとしているか、イノベーター的な感覚の持ち主が多いですね、どちらかと言えば日本のメジャーレーベルよりも海外の大手インディレーベルから出したいとか、逆輸入を狙いたいとか、海外に移住したいとか、そんなアーティストが多いです。海外からもオンラインでミックスやマスタリングの仕事がくるので、日本のスタジオという感覚ではなく、かと言ってアメリカやイギリスにありそうなスタジオでもないけど、日本っぽくないスタジオコンセプトは25年間ブレずにやってきています。
写真:桧川泰治
樫村 治延
STUDIO CHAPTER H[aus](スタジオチャプターハウス)代表。
レコーディングエンジニア・サウンドクリエーター。
Whirlpool Records/brittford主宰。
専門学校非常勤講師、音楽雑誌ライターとしても活動。
全国流通レベルのレコーディング、ミックス、マスタリング、楽曲制作を年間平均250曲以上手掛ける。
スタジオについての詳細はこちら→ http://www.chapter-trax.com/