Hookup,inc.

音楽クリエイターのための Dolby Atmos 入門 ③スピーカーの設置方法

圧倒的な没入感をもたらす、いま注目の音楽体験 Dolby Atmos。新たな表現形態として気になっている音楽クリエイターもいるのでは? その1人である作・編曲家の岩崎元是氏が、Atmos に精通するエンジニアの齋藤晴夫氏に様々な疑問をぶつける対談の第3回。今回はスピーカーの設置方法を聞きます。

仮ミックスは12本のマスターフェーダーでも可能


前回記事【第2回 アトモスの視聴環境と制作環境】

岩崎:前回、Dolby Atmos(以下、アトモス)のミックスはとてつもない数のマスターを使うって教えてくれたじゃないですか。だけど例えばラフミックスに使えるような、シンプルに12アウトのメーターが付いているマスターというのは用意されていないんですか?

齋藤:用意することはできます。納品レベルでなければ、それでも作業できそうに思うことはありますね。Pro Tools のI/O設定で色々できるんですが、このセッション(下画像)だと12chが1本にまとまったマスターが右端に組んであります。

マスター
▲右端に見えるのが12本のメーターが用意されたアトモス用のマスター

岩崎:見えにくいけどメーターが12本あるね。この12本がオーディオインターフェイスの12個のアウトにアサインされるわけだ。どうして納品レベルはこれじゃダメなの?

齋藤:この状態って、各オーディオトラックやリバーブなどのアウトが一番右端のマスターフェーダーに送られて、それがオーディオインターフェイスのアウトに出力される一番シンプルなワークフローなんですが、納品レベルにするには Dolby Atmos Renderer(以下 Renderer)を立ち上げて Renderer に音を送りつつ、メタデータと共にエンコードした納品ファイルにしないといけないため、信号のルーティングもこの状態ではなくなるんです。納品は ADM BWF というファイルフォーマットで行います。

岩崎:そのファイルは普通の人には聴けないもの?

齋藤:たんなるWAVが再生できるアプリでは完成形の状態では聴けません。ファイルの形式上はただのWAVですが、Renderer で作成されるマルチチャンネルでメタデータも入った、プロレベルのマスターファイルです。プロユーザーだったら、アトモス対応で内蔵のレンダラーを持つDAW(Cubase を除く)を所有していれば、それで ADM BWF ファイルをインポートするか、 Dolby から Renderer を購入したり、90日間使用可能なデモ版を入手するなどして、それで読み込めば再生できます。

岩崎:音声フォーマットは48kHz/24bit?

齋藤:今のところ ADM BWF で吐き出せるのは、48kHz/24bitと96kHz/24bitだと思います。ただし今はアトモスの場合、48kHz/24bitでしかリリースできないので、96kHz/24bitは上位フォーマットのアーカイブのような形になってしまいます。96kHz/24bitで制作した場合は、48kHzにコンバートしてのリリースとなります。

岩崎:ヘッドホンで聴くには、12本のアウトをどうすればいいの?

齋藤:ここでも Renderer が必要です。この中でバイノーラルに変換しながら、リアルタイムで再生できます。

岩崎:なるほど。

齋藤:ADM BWF のことや、その再生方法に関しては、僕の note のWebサイトに「取材連動記事」というタイトルで補足記事を作っておきますので、詳しく知りたい人はそちらを読んでみてください。

Dolby Atmos Renderer
▲Dolby Atmos Renderer(Pro Tools Ultimate の内蔵レンダラー)

リスニングポイントから各スピーカーまでを等距離にするのが基本


岩崎:ここからは納品レベルの話に進むけど、7.1.4chでいくなら、まず必要なものは12台のスピーカーと、12個のアウトプットを備えたオーディオインターフェイスだよね。

齋藤:はい。もしくは2台のインターフェイスをカスケードさせるためのソフトウェアを使う方法もあります。制作においては一応7.1.4chが最低とされているので、それ以下で作ったものはおそらく保証されないし、パンニングもうまくできないと思います。仮に5.1.2chで作ったとしたら、ハイトの前後は再現できないし、サイドとリアの差もわからなくなります。なのでアトモスをスピーカーでチェックするには、最低12台が必要なんです。

岩崎:アトモスミックスと2ミックスを同時に作っていく場合は?

齋藤:アトモス用のスピーカーとは別に、ステレオペアのスピーカーがあるとわかりやすいですね。ステレオアウトが余分に取れて、そこにL/Rを割り当てることができるオーディオインターフェイスなら、ソースの切り替えだけでいけます。もうひとつは、アトモスの時はスピーカーを全部鳴らして、ステレオソースのアウトプットを選んだ場合はL/Rだけが鳴るようにする方法です。

岩崎:なるほど。あとはスピーカーのチューニングが必要だよね。ステレオモニターでも、リスニングポイントと正三角形になるように配置するとか、スピーカーの首を振るとか、L/Rに同じ信号を入れた時に同じ大きさで鳴るようにするなどの基本があるじゃないですか。アトモスのミックスを始めるにあたって、そういう基準はどうなっているんですか?

7.1.4ch
▲各スピーカーの配置図。C=センター、L=ステレオL、R=ステレオR、Ls=サイドL、Rs=サイドR、Lrs=リアL、Rrs=リアR、Ltf=フロントハイトL、Rdf=フロントハイトR、Ltr=リアハイトL、Rtr=リアハイトRの計11台とサブウーファーで構成される

齋藤:まず各スピーカーの角度が指定された範囲の中で決まっています。そして、リスニングポイントで椅子に座った時の耳の高さからスピーカーまでを、すべて等距離にするのが基本です。等距離にできない場合は、近過ぎるスピーカーに対してディレイをかけて調整します。音が耳に到着するまでの時間を統一させたいので。

岩崎:モニターにディレイをかけられるソフトがあるの?

齋藤:Sonarworks Sound ID は対応していますし、オーディオインターフェイスが Apollo x16 Gen 2 なら Apollo Monitor Correction を利用して、Sound ID の処理をDSPで行えます。実際に試してみましたが、Sound ID から Apollo x16 Gen 2 へのデータの流し込みが想像以上に簡単にできました。DSPを積んでいるとレイテンシーを吸収してくれるので楽です。

Apollo
▲取材時は、ラック内の Apollo x16 Gen 2 とラック上の Apollo Twin X Gen 2 をカスケード接続し、後者をヘッドホンアウト/キャリブレーション時のマイクイン/モニターコントローラーとして利用した
Apollo Monitor Collection
▲Sound ID でアトモスのキャリブレーションを行うには、ステレオの時とは違い、測定用マイクを上向きでリスニングポイントの耳の高さに先端が来るように設置し、画面に表示される指示に従って測定を行う。7.1.4chのアトモスの場合、測定にはおよそ50分ほどを要した

岩崎:DSPがないとそういうわけにはいかないんだ?

齋藤:何かしらのソフトウェアで対策するしかありません。オーディオインターフェイスにDSPが入っていて、そこでEQとディレイの処理ができるのがすごくいいですね。

岩崎:やっぱりイマーシブを意識している新世代のオーディオインターフェイスの方が向いているんだね。

齋藤:楽ですね。ソフトウェアで処理すると、どうしてもバッファー分の遅延が出ますが、DSPで処理すればほぼ気にしなくていいレベルになるので。

Apollo Monitor Correction
▲左上が UAD Console ソフトウェア上に表示される Apollo Monitor Correction の画面。ここに、右下の Sound ID からキャリブレーション・データを読み込むと、Apollo のDSPでキャリブレーション処理を行うことができる

岩崎:スピーカーは全部同じモデルで揃える必要があるの?

齋藤:そうした方がベターです。

岩崎:フロントL/Rだけを口径の大きいスピーカーにしているスタジオもあるよね。

齋藤:その傾向は確かにあって、フロントのL/C/Rは他のスピーカーより大きいことが多いですね。でも音響工学的なことだけを考えれば、全部同じスピーカーにする方が本当はいいんですよ。と言うのも、クロスオーバー周波数で位相が狂うので、その狂った状態が全部揃っていないと音が繋がらなくなるんです。もしもスピーカーの違いでクロスオーバー周波数が違っていると、位相キャンセリングが起きて、音が鳴らないところが出てくるなどの不具合があるので、できれば揃えた方がいい。だけど、そうしていないスタジオもたくさんあるし、揃える方法もゼロではなかったりするので、L/C/Rに関しては大きめのスピーカーにしているケースがとても多いです。

岩崎:サイドとハイトのスピーカーは揃っていることが多いですか?

齋藤:揃っていますね。L/C/Rが一番大きいサイズで、次にサイドとリアのスピーカーが中くらいのサイズ、ハイトは設置状態とか様々な理由でもう少し小さいサイズにしているケースが一番多いかもしれません。

iLoud Micro Monitor Pro Immersive Bundle
▲小型スピーカーの iLoud Micro Monitor Pro を11本セットにした iLoud Micro Monitor Pro Immersive Bundle を利用すると、リーズナブルかつ高音質にアトモス環境を整えることができる

岩崎:スピーカーのメーカーはすべて揃えることが多いですよね。

齋藤:はい。揃えた方がいい理由のひとつに、さっきのクロスオーバー問題があって。同じメーカーの製品は、クロスオーバーがわりと近いとか同じものが多かったり、そもそもの音質が揃っていたりする傾向があります。なので、メーカーを揃えている人は多いと思います。そうではない人もいますが。

岩崎:再生音圧レベルはすべて同じですか?

齋藤:サブウーファーだけ1/3バンドパスレベルで比較して+10dB大きくして、それ以外はすべて同じです。特に Dolby は映画館など過去の資産との互換性を考えるので、5.1chサラウンドの時も LFE は+10dBだったんですよ。映画って低音がバーンっていう効果音が多いじゃないですか。あれのためにヘッドルームを大きく取りたかったので+10dBに設定されて、その互換性を今でも持っています。

岩崎:サブウーファーの設置の定義はどうなっているんですか?

齋藤:定義は特にないです。スピーカーはどれも同じ距離なので、一応それに近い形で置きますが、サブウーファーはセッティング位置が難しくて、色々動かさないとうまくいかないこともあるので、そこはディレイでカバーします。

岩崎:僕は精神衛生上、ド真ん中にサブウーファーがいてほしいと思ってしまうけど、どのスタジオを見てもセンターには置かれていないことが多いよね。

齋藤:音響工学的に、左右の壁からのセンターとか、前後の壁からのセンターというのは、最も問題が起きやすい位置なんですよ。その問題を起こしづらいのが、センターからはズラした位置なので。

岩崎:置く場所がないからではないんだね。

齋藤:低音は特に波長が長いのですが、波長の谷になるところで音がキャンセルされてしまいます。センターはその問題が一番起きやすいから避けて置くことがほとんどなんです。なのでセンターっぽく置きたい時は、左右均等にサブウーファーを2つ置くといいと思います。2台使うことでLFEのヘッドルームを稼げるという利点もあります。

サブウーファー
▲フックアップのショールームではアクティブ・サブウーファーの Genelec 7050B が使用されている

Dolby が推奨するモニターセッティングの基準がある


岩崎:スピーカーの角度は Dolby の資料を見て決めるの?

齋藤:Dolby が推奨するセッティングが Best Practice というWeb上の資料に掲載されています。プラスマイナス何度とか少し余裕を持たせて記載されていますが、互換性に関係するので、あまり極端なセッティングはできません。これを読むと、すべて等距離で円周上に並べる以外のやり方も推奨されていて、長方形の部屋でフロントスピーカーの距離が遠いセッティング例もあるんですよ。その場合はディレイでの調整が推奨されています。本当はレーザーポインタがスピーカーに付いていれば楽なんです。音響ハウスのイマーシブ・スタジオとかはそうしていて、レーザーポインタから光が出て「ここがセンターです」と示してくれたりします。

岩崎:さすが音響ハウスですね。

齋藤:あそこはマニアックです。

レーザーポインタ
▲このようなレーザー距離計を使うとスピーカーまでの距離が測定しやすい。写真の製品は BOSCH GLM 40 Professional

岩崎:再生音量は好みで決めていいんですか?

齋藤:一応推奨があって、規定入力を入れた時に79dB SPLが出るようにするのが基本のひとつです。

岩崎:79dBって結構大きいよね。

齋藤:そこまで音量が出せると制作しやすいよ、という感じです。僕は REW というフリーソフトを使って確認しています。スペクトラム・アナライザーとジェネレーターと音圧メーターが簡単に出せるので。キャリブレーション用のEQデータを出すこともできますが、Sound ID みたいに簡単には調整できないので、例えば10kHzがどのぐらい、1kHzがどのぐらい出ているかのデータを出して、調整は別のものでやるという感じですね。世界中のエンジニアが知っているほどメジャーなソフトですし、いろんな機能があるのでとても便利ですよ。

岩崎:周波数特性に関しても推奨規定があるの?

齋藤:それも Best Practice の中で Dolby Atmos Music Curve というEQカーブが推奨されています。こういうカーブにしておけば、様々なコンシューマーユーザーに音源が渡った時に、互換性が一番取れますよという推奨値です。

岩崎:2ミックスをアナライザーで見た時のカーブですか?

齋藤:スピーカーから測定信号を再生して、測定マイクで録った状態ですね。Dolby が推奨する大きさの部屋で最も良い結果が出るカーブだそうですが、それより狭い部屋や大きな部屋では必ずしもこれには当てはまらないと Dolby も言っています。僕の環境だと部屋が狭いので、この設定ではローが大きく、ハイが落ち着き気味に聴こえてしまいます。なので推奨設定の一例として考えてください。映画館もこれに似たカーブになっているんですよ。その辺の経験から来ているのだと思います。

REW
▲REW(Room EQ Wizard)

第4回に続く(2025年3月21日公開予定)

写真:桧川泰治

岩崎元是(いわさき もとよし)

作/編曲家、ボーカリスト。80年代ジャパニーズ・シティポップ全盛期のアーティスト活動を経て、その後スタジオ・コーラス・ミュージシャン、作/編曲家として多くの作品に参加。J-POP、アニメ、劇伴、ゲーム関連、CM等、幅広い制作に携わり、近年はミキシング、マスタリング等のエンジニアリングも自身で手がける。クリエイトの範囲を益々広げる、自称「歌わぬシンガーソングライター」。

齋藤晴夫(さいとう はるお)

1987年日本電子専門学校卒業。discomate studioでの研修を経てmit studioに所属。25歳でアシスタントを卒業、チーフエンジニア就任。1999年4月、12年勤めたmitスタジオを退社。元ビクタースタジオのエンジニア臼井伸一氏と“THERMAL MIX”を結成。フリーランスエンジニアとして活動開始。2019年、Dolby Atmosと出会い、翌年自宅にDolby Atmos 7.1.4 Mix環境を構築。2023年、アメリア カリフォルニア州のEMBODY社が主催する“Overdrive Immersive Mix Conpetition”にて優勝。現在もDolby Atmosのレコーディングからミックスまでを実践中。
https://www.haruosaitoh.com
・Dolby Atmos 関連に特化した note 記事
https://note.com/haruo_saitoh

関連記事

ページトップへ