再生環境に合わせてチャンネル数を変えられるのがアトモス
岩崎:今回はまず Dolby Atmos(以下、アトモス)のリスニング・システムについて知りたいんだけど、コンシューマー環境で対応作品を聴くには何を用意すればいいの?
齋藤:音楽の場合は Apple Music や Amazon Music からアトモスに対応する楽曲をストリーミングするので、そのためのハードウェアとして、アトモスに対応した Mac とOS(但し Amazon Music のデスクトップアプリは非対応)か、「セットトップ・ボックス」と呼ばれる Apple TV や Fire TV などのうちアトモス対応のストリーミング用デバイスが必要です。Mac を使わない人でも、そういったセットトップ・ボックスを使ってアトモス対応作品を視聴することができます。Amazon Music の場合は、アトモスの視聴ができるプランへの加入も必要ですね。
岩崎:なるほど。そういったデバイスにデータがストリーミングされて、最終的に12台のスピーカーにつながるわけだ。Mac で再生する場合はオーディオインターフェイスを経由させるんですか?
齋藤:方法は2つあって、1つは「Mac+オーディオインターフェイス」からスピーカーにつなげるパターン。もうひとつは「Mac かセットトップ・ボックス+AVアンプ」からスピーカーにつなげるパターンです。それ以外にもテレビやサウンドバーなど、アトモスに対応した様々な再生装置があります。デコードという処理が途中に入るので、それを行うのがパソコンなのか、AVアンプなのか、サウンドバーなのか...などなど、いろんなパターンがあるわけです。
岩崎:AVアンプでもデコードができるの?
齋藤:アトモス対応のAVアンプであればできます。ある程度の価格のものを買えば、アトモス用の12個のアウトプットから、12本のケーブルでスピーカーにつないで聴くことができるようになっています。価格が下がってくると接続できるスピーカーの数が減っていきます。他にもアトモス対応のサウンドバーなどでもデコードできますよ。
岩崎:Mac の場合は、デコード後に12本のアウトがオーディオインターフェイスに送られて、そこからスピーカーに出力されるわけだね。ここのショールームでオーディオインターフェイスとして使われている Universal Audio の Apollo x16 Gen 2 は、アナログ出力が16アウトある。
齋藤:16アウトあればスピーカーは9.1.6chまでいけますが、ストリーミングで Mac でデコードする場合は7.1.4chまでになります。

岩崎:普通のステレオミックスをやる分には16アウトも必要ないけど、アトモスをちゃんとしたスピーカーで聴こうとすると、それなりのアウト数が必要になるね。
齋藤:そうですね。ちなみに、もしもアトモスを制作する場合は7.1.4chが最低スペックなので、12アウトがマストとなります。
フックアップ:アトモス対応のサウンドバーには、3.1.2chなどチャンネル数の少ないモデルもありますよね?
齋藤:それはダウンミックスされていると考えてください。7.1.4chが最大でデコードされた状態だとすると、3.1.2chにダウンミックスされたものが再生されていると考えれば大丈夫です。
フックアップ:それでもアトモス対応だとうたえるんですか?
齋藤:それがむしろアトモスなんです。再生環境に合わせて、チャンネル数を様々に変えられるのがアトモスというものなんですよ。
岩崎:そこがよくわからないところで、スピーカーの数が少なくなった場合、間引かれたスピーカーの音はいなくなるわけではなくて、どこかに同居されて鳴っているわけ? 例えばハイトRだけで鳴らされている音は、そのスピーカーがなくなっても聴こえなくなるわけではないと。
齋藤:そうです。例えば7.1.4chが7.1ch(つまりハイトスピーカー無し)にダウンミックスされたとしたら、ハイトの音が地上に降りるんです。他のスピーカーに混ざってもイメージや音量をなるべく変えないように、制作時にダウンミックスのパラメーターを設定します。制作者が意図的にダウンミックスの設定をしていない場合でも、デフォルトのダウンミックスの設定があるので、もしかしたら制作者の意図とは少し違うものになるかもしれませんが、それでも音はちゃんと聴こえます。
岩崎:なるほど。一般的な家のリビングにあるようなサウンドバーで聴いたとしても、ダウンミックスのパラメーターがちゃんと入っていれば、聴くに困らないように再生されるわけだ。
齋藤:それがアトモスの売りであり、従来の5.1chとの大きな違いなんです。従来の5.1chだったら専用のスピーカーセットを組まないと制作者の意図が再現できませんでしたが、アトモスになると、できる範囲で最大限の結果を出せる。そういう意味で、すごく再生環境の自由度が高いフォーマットです。
ヘッドホンでは7.1.4chをエミュレートしたバイノーラル・サウンドが聴ける
フックアップ:ヘッドホンで聴く場合、例えば Apple の AirPods で聴く場合もダウンミックスされているんですか?
齋藤:ヘッドホンの場合はダウンミックスとは違って、7.1.4chの「エミュレーション」をする形になります。
岩崎:ヘッドホンでアトモス対応だと言われると、「12台のスピーカーから出てくるからアトモスなんじゃないの?」と思うわけ。なのにアトモス対応をうたえるってことは、サウンドバーとかへの落とし込みと同じってこと?
齋藤:機器的には、ヘッドホンで再生する場合は、機器と再生アプリと音楽ソースがアトモスに対応していればOKです。機器というのは、例えば対応機器であれば iPhone でも iPad でもいいです。
岩崎:iPhone だとミュージックアプリの設定項目に、アトモスのオン/オフスイッチがあるじゃない? あれをオンにすると、スマホの中で何が起きるの?
齋藤:7.1.4chのスピーカーをエミュレートした、「バイノーラル」のサウンドが出ると思ってください。
岩崎:ここで前回のバイノーラルの話とつながったね。 例えば12台のスピーカーが組まれた環境でミックスされたアトモス作品を、スマホでストリーミングしてヘッドホンで聴いた時に違和感はないの?
齋藤:エンジニアは制作する時に AirPods Pro や AirPods Max でもチェックします。Apple Music で配信する前提では、スピーカーでのチェック以外にも必要な工程が2つあって、Apple のバイノーラルと Dolby Atmos Renderer というソフトウェアでのバイノーラル、この2種類もチェックします。

岩崎:Dolby Atmos Renderer というのは?
齋藤:アトモスのマスターファイルを作るためのエンコード作業と、それをデコードした音をモニターすることを含め、アトモスミックスのワークフローに必要な機能を備えた仕組みのことです。Pro Tools からオーディオアウトやメタデータを受け取って、マスターファイルにエンコードしつつ、ミックスのモニタリングのために7.1.4chの再生環境や Dolby のバイノーラルにデコードする作業もしてくれます。ただ、それをやれば Apple のバイノーラルをやらなくてもいいということではないんですよ。なぜかというと Apple のバイノーラルは Dolby のバイノーラルとは違う仕組みで行われるからなんです。これは Dolby からは提供されません。
岩崎:ヘッドホンとイヤホンでの聴こえ方の差はどうですか?
齋藤:AirPods Pro シリーズ と AirPods Max では結構音は違いますが、Apple が意図する空間表現に関しては多分保証されているんでしょうね。ただ、もちろん普通のイヤホンやヘッドホンでもアトモスは聴けます。
岩崎:コンシューマー製品で「アトモス対応」とか「アトモス専用」をうたうヘッドホンってあるんですか?
齋藤:専用はないと思いますが、対応という製品はあるみたいです。多分ヘッドトラッキングに対応していたり、音のほうも多分 Dolby の監修を受けていたりしそうな気がしますが。すみません、正直、広範囲過ぎてよく把握できていないです。Dolby Atmos の名前やロゴを使っていればそれは対応製品のはずです。
岩崎:ちなみに、ステレオスピーカーでアトモスを再生した場合はどうなるの?
齋藤:アトモスに対応している iPad シリーズ や iPhone シリーズ、MacBook、MacBook Pro シリーズなどの内蔵スピーカーではエミュレーションされてアトモスで再生できますが、その音を2chの外部出力にアウトしようとするとアトモスでは出せないようです。コンシューマー環境では多分2chのエミュレーションされた音を外部に出力できないのでは? 汎用のスピーカーの場合、聴く角度なども含め、いろんなパラメーターがあり過ぎて定まらないので、特定の機器専用の設定にしないと折り合いがつかないんですね。というのもバイノーラル技術の HRTF(頭脳伝達関数)というパラメーターは、再生されるソースの角度も関係するので、スピーカーのL/R間を狭くして聴く人もいれば、広めで聴く人もいる状況では効果が正しく再現できないんですよ。そこまでは正直難しいんでしょうね。

アトモスのミキシングはヘッドホンだけでも挑戦できる
岩崎:次に、アトモス対応作品を制作する時の環境について教えてください。最終的なフォーマットがアトモスミックスだけになるケースはないかもしれないけど。
齋藤:ステレオとの同時配信がマストなので、アトモスだけでの納品はできませんし、ステレオ再生をするにはステレオミックスが必要です。同時に納品するか、もしくはアトモス版を後から追加するのはOKです。
岩崎:DTMで作曲やアレンジをしている人が、アトモス対応作品を作ろうとした時、ステレオ版の制作機材とは別に用意した方がいいものはありますか?
齋藤:それは自分でミックスまで完結させる場合ですか?
岩崎:いや、ミックスは誰かにお願いする前提で、あくまでもトラック制作と考えています。
齋藤:であれば特にないです。仕上がりをイメージした方がいいかもしれませんが、しなくてもいけるし、実際そういう制作スタイルでやっている人も多いと思います。
岩崎:最近はモノのパートもステレオトラックで作られることが増えたけど、アトモスミックスをするエンジニアからしたら、できればモノの音声はモノのデータで受け取りたいと思うことはない?
齋藤:個人的にはどちらでもいいです。広がりを付けたければ、ミックス時に十分補えますから。
岩崎:逆に元データは広がっていない方がいいとか、変なエフェクトが付いていない方が嬉しいとか。
齋藤:そういうケースはたまにありますけど、今のソフトシンセの構造を考えると広がりを完全になくすのも難しいですから、そこで苦労してもらうよりは、いい音楽を作ってもらった方がいいですね。
岩崎:仮にクリエイターがアトモスのデモを作るとしたら、ヘッドホンで作る方がいい?
齋藤:参考程度にデモを作る、ということですよね。デモや趣味として作る分にはヘッドホンでも可能です。ただ、バイノーラルの感覚には個人差がすごくあって、初めてヘッドホンだけで挑戦した作品はうまくいかないことが多いと思います。僕はバイノーラルの感覚がダメな方ですが、ものすごく感覚が合う人もいるので、その個人差はすごく大きいと思います。ただ、クリエイターさんにデモを作ってもらえれば、ミキシングする時の参考にはなるので、それはヘッドホンやイヤホンでも作れます。
岩崎:いま世の中に出ているDAWの多くは、アトモスに対応しているの?
齋藤:Pro Tools は大丈夫です。Cubase も Logic も Studio One もできるし、いわゆるメジャーなDAWはできます。ただグレードによってできるできないはあると思います。Logic はグレードが1つしかないので気にしなくて良いですが、他のものは最上位バージョンならどれでもできるでしょうね。Pro Tools は Pro Tools Studio または Pro Tools Ultimate ならできます。
岩崎:アトモスができるDAWとできないDAWの差は何?
齋藤:パンナーがステレオパンナーしか搭載されていないと難しいと思います。ステレオアウトの中でしかパンニングができないのは不自由だと思います。「アトモスができる」と言われるDAWは、サラウンドパンナーやオブジェクトパンナーというものが搭載されていて、そこが一番操作に関わってきます。またDAWアプリ単体でアトモスミックスをする場合は、内部レンダラー(DAWに内包された Dolby Atmos Renderer の機能)を持つことも重要です。しかし、これら2つについては別途アドオンソフトや Dolby が販売するレンダラーを購入することで、できるようになるものもあります。Pro Tools も以前はそうでした。

フックアップ:サラウンド&オブジェクトパンナーを搭載していないDAWでは、アトモスミックスをすることはできないんですか?
齋藤:そうしたパンナーがないDAWのために、アトモスミックスをできるようにするための Dolby Atmos Composer というプラグインがサードパーティから出ています。各トラックとマスターにインサートすることで、サラウンド&オブジェクトパンナーがなくてもフルスペックでアトモスミックスができるようになります。以前試してみたことがありますが、なかなか便利で面白くて、Dolby やDAWのツールを使うよりも簡単な発想でできる人もいると思います。何より通常のアトモスのルーティングの不便さが格段に解消されます。ただ Pro Tools で使用すると遅延補正に問題があるので、それが非常に使いづらいです...。原因は Pro Tools 側にあるようなので、それが解決されれば導入したいくらいですが。
アトモスの最終マスターは最大128ch分ある
岩崎:マスタートラックはどうなっているんだろう。アトモスのマスターと、2ミックスの2chマスターは共存しているんですか?
齋藤:一例ですが、例えばこのセッション(下画像)はちょっと珍しいかもしれないパターンのセッションで、ステレオとアトモスのミックスを同時進行したものですが、右側にズラーっと並んでいるのが全部アトモスのマスターです。
岩崎:こんなにたくさんマスターがあるの? 2ミックスの方は普通のマスターと同じ?
齋藤:そうです。トラック名の欄に「Mastr1」と書かれているのがステレオのマスターで、普通のミックスと同じくオーディオトラックなどから通常のラージフェーダーを経由して、オーディオインターフェイスのアウト1-2に送られます。そして、赤いカラーの枠に青字で「AtmsM」と書かれているのはフォルダトラックで整理していますが、そこから右が全部アトモスのマスターです。アトモスミックスの方は、オーディオトラックなどからAUXセンドを使って音を出してミックスしています。ステレオとアトモスが同時進行なので、もしかして特別なケースかもしれませんが、アトモスのマスターフェーダーの数に関しては、この画面には見えていないものも含め大体こんな感じです。アトモスのマスターの方にはプラグインが入っていませんが、それはその手前でフォルダトラックにAUXのサブグループを作って、そこでステレオとほぼ同様の処理をしています。それら全部を見渡すには画面が足りませんが、ざっと見た時のステレオとアトモスのマスターフェーダーの比較としてはわかりやすいかもしれませんね。

岩崎:アウトが12個しかないのに、マスターフェーダーが12個以上あるのはなぜ?
齋藤:アトモスの最終マスターは最大128ch分あるんですよ。ここで「オブジェクト」という概念が出てきます。
岩崎:そしたら、オブジェクトについては次回詳しく聞くとして、とにかくアトモスのマスターはこういう世界になるんですね。5.1chサラウンドの頃は6本のフェーダーが出ていたけど、ああいう世界ではないと。まとめると、DTMでアトモスの制作に挑戦するには、12台のスピーカーセットがあるに越したことはないけど、ヘッドホンだけでも近いことはできる。アトモスの制作に入るきっかけを得ることはできるわけだ。最初に買わなきゃダメな機材はないということですね。
第3回に続く(2025年3月13日公開予定)
写真:桧川泰治
岩崎元是(いわさき もとよし)

作/編曲家、ボーカリスト。80年代ジャパニーズ・シティポップ全盛期のアーティスト活動を経て、その後スタジオ・コーラス・ミュージシャン、作/編曲家として多くの作品に参加。J-POP、アニメ、劇伴、ゲーム関連、CM等、幅広い制作に携わり、近年はミキシング、マスタリング等のエンジニアリングも自身で手がける。クリエイトの範囲を益々広げる、自称「歌わぬシンガーソングライター」。
齋藤晴夫(さいとう はるお)

1987年日本電子専門学校卒業。discomate studioでの研修を経てmit studioに所属。25歳でアシスタントを卒業、チーフエンジニア就任。1999年4月、12年勤めたmitスタジオを退社。元ビクタースタジオのエンジニア臼井伸一氏と“THERMAL MIX”を結成。フリーランスエンジニアとして活動開始。2019年、Dolby Atmosと出会い、翌年自宅にDolby Atmos 7.1.4 Mix環境を構築。2023年、アメリア カリフォルニア州のEMBODY社が主催する“Overdrive Immersive Mix Conpetition”にて優勝。現在もDolby Atmosのレコーディングからミックスまでを実践中。
https://www.haruosaitoh.com
・Dolby Atmos 関連に特化した note 記事
https://note.com/haruo_saitoh