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Townsend Labs : Sphere L22 で本格ボーカル録音に挑戦【連載第3回】

音楽プロデューサーの谷口尚久氏が、Townsends Labs のモデリング・マイク Sphere L22 を使い、自宅環境でボーカルレコーディングを成功させるためのポイントを教えてくれるこの連載。今回は声質に合わせたマイク選びと、録音後のミックスについて紹介します。

声質に合わせたマイク選びと録音後のミックス


女性ボーカルを録音してみよう

今回は女性ボーカリストとして辻林美穂さんをお招きしました。彼女は自他共に認めるウィスパー派なので(笑)、Sphere L22 を使って、その声質に合わせたマイク選びにトライしたいと思います。

まず試したいのは「LD-251」。これは TELEFUNKEN ELA M 251E をモデリングしたものです。現行品はもはや手に入らず、忠実に再現したものは受注生産かつ非常に高価。しかしながら、そのなめらかなミッドレンジとトップエンドの伸びの良さから、「20世紀最高のマイク」と言う人も多いです。デビュー時には“ちりめんビブラート”と呼ばれた日本の某国民的女性歌手も、この伝説的なマイクを複数所有しているという噂を聞いたことがあります。余談ですが、TELEは「距離」、FUNKENは「火花」を意味する言葉だそうです。カッコいいですね。

実際に LD-251 を選んで辻林さんに歌ってもらうと、充実した中域と華やかな高域がまさにELA M 251っぽい音像です。彼女も歌いやすそうでした。

次は AKG C12 をモデリングした「LD-12」。この C12 もシルキーなキャラクターで多くのエンジニアに愛されたマイクです。LD-12 を選んで歌ってもらったところ、ELA M 251 と比べて軽さがあり、言葉が聴き取りやすい印象でした。なので、無駄に力む必要がありませんでした。

このように、マイクを交換することのメリットは、ボーカリストの歌い方に影響するという点が非常に大きいです。もちろん録音が終わった後の結果にも影響しますが、正直言うとこれくらい優れたマイクでは、後からの処理でいくらでも自分好みの音像にすることが可能です。それよりも、マイク選びは「ボーカリストへのディレクションを兼ねている」という点を重視すべきだと筆者は考えます。

最後に少し変わったところでリボンマイクを試してみましょう。レイ・チャールズやエルビス・プレスリーの時代から愛されていた RCA 77DX という名器があります。国内ではNHK放送博物館にも所蔵されています。そのホームページには「1949年アメリカから輸入されたリボン型可変指向性マイクロフォン。その音質の良さにNHKの現場技術者は思わず驚きの声を上げたという」とさえ記述されています。筆者は先日ギリシャとリモートレコーディングをしたのですが、アテネのそのスタジオにも 77DX があり、バイオリンの録音にオフ気味に使用されていました。

リボンマイクの構造はコンデンサーマイクよりもダイナミックマイクに近く、ダイナミックマイクがコイルで空気の振動を受け止めるのに対して、リボンマイクはアルミ箔で出来たリボンで空気の振動を検知します。なので、壊れやすいという弱点があり、実機を所有するのは少しハードルが高いかもしれません。しかしながら L22 であれば、こんなリボンマイクさえ再現できるのです。

さあ、リボンタイプのマイクモデル「RB-77DX SATIN」を選んでみましょう。歌声が柔らかく感じられます。不思議なことに歌全体にキュートさが感じられました。歌い終わった後で本人に確認したのですが、特に歌い方は変えていないとのこと。中音域の特定の部分が強調されたようなキャラクターです。これはやはり、このマイクにしか出せない持ち味でしょう。

3つ試して甲乙付け難い結果でしたが、今回は総合判断から LD-251 で進めてみたいと思います。それにしても、それぞれのキャラクターがよく再現されていて面白かったので、個人的には Brauner や Blue Microphones などのマイクも今後モデリングの対象としてもらえると嬉しいと感じました。

最後にレコーディングでのティップスとしては、「OFF-AXIS CORRECTION」(オフアクシス補正)という機能があります。例えば部屋鳴りがひどい環境であれば、この機能が有効でしょう。指向性を狭めることでも部屋鳴りの影響を減らすことができますが、どんなマイクであっても1~2kHzあたりを中心に指向性がコントロールされます。これをもっと広い周波数に適用するのがオフアクシス補正機能です。特に下の周波数の回り込みを防ぐのに有効です。

手順としては、まずVIEWをDUALモードにします。左下にオフアクシスに関するパラメーターつまみが出てきますので、一番左のボタンを[IN]に点灯させます。そしてスーパーカーディオイドなど、好みのパターンを選べばいいのです。これにより室内の反響を最小限に抑えて、明瞭なサウンドに仕上げることができるのです。

ボーカルレコーディング後の調整とエフェクト処理

それでは、録った素材をミックスしてみましょう。

録音されたファイルは Sphere プラグインをかけ録りしたものではなく素のデータですから、これをマイクの音にする必要があります。この時点で左側の波形が大きいのは、2つのカプセルのうち、ボーカリスト側のカプセルで収録した音が左の波形に現れているからです。

ではマイクモデルを選び直しましょう。まずは男性ボーカリストの素材から。SONY C-800G をシミュレートした「LD-800」が良かったので、DAWのトラックで Townsend Labs Sphere プラグインを立ち上げて、マイクの絵のところでLD-800を選びましょう。そうすると、先ほどまで左側が大きく再生されていたのが、中央で再生されるようになるはずです。

このマイクが面白いのは、この時点でもう一度マイクモデルを選び直せることです。トラックとの馴染み具合を聴いて再度トライしたいと思えば、この時点で違うマイクに変更できるのです。自由度が高いのは良いことですね。ただ、無限に悩み続けることもできるわけですが……。

そしてこの後に Universal Audio UAD API Vision Channel Strip(チャンネルストリップ・プラグイン)を挿入すれば、先ほどモニタリングしていた音と同じ状態になります。設定はデフォルトのままで味付けなし。もちろん、UADプラグインはコンピュータ側ではなく Universal Audio Apollo 側で処理されるため、コンピュータの負担を心配する必要はありません。

ここからは基本的なミックス作業になります。まずは、EQ処理から。筆者の場合、余計な低音域をカットするところから始めます。だいたい100Hzあたりから下をEQのハイパスフィルターでカットします。あくまでも余計なところを切るわけですから、ボーカルの印象が変わらない周波数であることに注意してください。

Universal Audio UAD Oxford EQでの設定例

さらに声の印象を特徴付けるイメージでEQします。10年前のセオリーでは「1.2kHz以上を6dB上げる」というのがありました。これで LD-800 の音がさらにパキッとなるのですが、今回はそこまでする必要はないと感じ、3kHz以上をハイシェルビングで3dBほど持ち上げました。その分、まどろっこしく感じる中低域を少し削りました。具体的には450Hzを中心に−2dB。Q値は0.6で広く浅く削るイメージです。

この後にコンプをかけて、おおまかに均します。Aメロのテンションでは、たまに出てくる強い子音を少し抑える程度。そうするとサビでは、常に反応するようになります。筆者はメーターを頼りに調整していて、針が−5を示すくらいのかかり方が自然に感じます。

Universal Audio UAD Fairchild 670 Legacyでの設定例

このコンプ設定ではかなり大雑把なトリートメントになりますので、まだボーカルが手前に来たり奥に引っ込んだりする状態です。これを一定の位置で響かせるために、今回は Waves Vocal Rider を使用しました。オートモードでもいいのですが、いったんスライダーの動きをオートメーション化してから箇所箇所で調整するのがおすすめです。

最後に、質感を作ります。今回は Waves CLA Vocals を使いました。ほぼデフォルトのままですが、若干重く感じられたのでBASSというスライダーを3ほど下げました。ハモは Waves Doubler で広げて、奥の方で鳴るようにしました。これで男性ボーカリストのミックスは完了です。トラックのリズムが強めでメリハリのある曲ですから、こういう派手な音処理がボーカルにも必要となりました。

プラグインのプリセットが良く出来ているので、何を選ぶのかが重要

次は女性ボーカリストの曲をミックスしましょう。こちらは、先ほどの曲とは対照的に柔らかい印象を目指したいと思います。

マイクモデルを選び直してAPIのチャンネルストリップを挿入するところまでは、先ほどの男性ボーカリスト曲と同じです。EQは余計な低音域をカットするだけでいいでしょう。高域を上げると硬い印象になってしまいます。

UAD Oxford EQでの設定例

曲全体を通して同じようなテンションの歌声が続くので、コンプは少し出てくる部分を軽く叩く程度。その分、Vocal Rider で歌がもぐる部分を引き出してあげました。サビではオケが少し厚くなるのに合わせて、ボリュームを1.5dB上げてみました。

ここからは質感を加えていきます。今回は色々試しましたが、Universal Audio UAD Pultec-Pro Legacy のプリセット[Female Vox - Body & Air]が一番合うと感じました。さらに Universal Audio UAD DreamVerb でリバーブ成分を加えます。今回はプリセットの[VOXF Mellow Lady]を使用しました。本職のエンジニアであれば、質感を作るところが腕の見せどころなのでしょうが、今はこういう便利なプリセットが多数あります。とてもよく出来ているので、筆者はこれを頼ってしまいます。その分、何を選ぶのかが重要なのでしょう。

この曲ではBメロで合いの手のようなメロディが出てきます。これはダブルで録って、左右に広げました。ハモはセンターで薄く鳴るように、低音域を大胆にカットし、高音を持ち上げました。

Universal Audio UAD Cambridgeでの設定例

最後のスキャットは、主メロをセンターでダブル、下ハモを少し左右に広げたダブルでまとめてみました。以上でミックスは完成です。

いかがでしたでしょうか。マイクのキャラクター選びは、あくまで曲とボーカリストによるもので正解はありません。このマイクなら、毎回自分の好みを見つけ出すことができるでしょう。


谷口尚久

13歳で音楽指導者資格を取得。
自身のグループonoroff(オノロフ)にて、高橋幸宏プロデュースのアルバムを2作発表。現在は、CHEMISTRY・SMAP・関ジャニ∞・中島美嘉・倖田來未・JUJUをはじめとするアーティストのプロデュース・楽曲提供・アレンジなども手がける他、TV番組・CM・ゲーム・映画の音楽にも携わる。
2010年に個人名義でのインストアルバム「JCT」、2016年に「DOT」を発表。
2020年7月22日にシングル「SPOT」をリリースした。
ミュージックビデオ

辻林美穂

昭和音楽大学作曲学科卒業。2014年にRADIO SAKAMOTO AUDITION、tofubeatsのラジオ等で作品がオンエアされたことをきっかけに、アーティスト活動を開始。ソロ活動の他に2017年にバンド「ふたりの文学」にも参加。作詞編曲家・ボーカリストとして楽曲提供やクライアントワークも盛んに行う。

写真:桧川泰治 ボーカル:辻林美穂、赤塚海斗

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