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Universal Audio UAD User File #003 : 岩崎元是

1984年、"岩崎元是 with 喜多郎" 名義のCM企画シングルでキャリアをスタートさせ、1986年には "岩崎元是&WINDY" のフロント・マンとしてメジャー・デビュー。グループ解散後は作曲家/アレンジャー/ボーカリストとして多方面に活躍している岩崎元是(いわさき・もとよし)さん。90年代は大企業のCM音楽を数多く手掛け、2000年代は大ヒット・アニメ『とっとこハム太郎』の劇伴を担当するなど、30年以上にわたって第一線で活躍し続けています。そんな岩崎さんもUADプラットホームを愛用している一人で、プライベート・スタジオのコンピューターにはUAD-2 OCTOと多数のプラグインがインストールされ、作曲から編曲、ミックスに至るまでフル活用されています。多忙を極める岩崎さんに、プロ・ミュージシャンになるまでの経緯と使用機材の変遷、そしてUADプラットホームの魅力についてじっくり話を伺いました。

1986年、"岩崎元是&WINDY" としてメジャー・デビュー


- 岩崎さんが音楽に目覚めたのは、いつ頃ですか?

中学一年生のときですかね。音楽にはまったく興味の無い野球少年だったんですけど、ある日、兄の部屋にアコースティック・ギターがあるのを発見してしまって。それを隠れてポロポロ弾いているうちに音楽にハマってしまったんですよね。それと母が音楽が大好きな人で、文化放送の藤山一郎さんの番組で歌ったりしていた昭和のラジオ歌手だったんです。なので子どもは音楽家にしたかったらしく、兄は3歳からピアノを習わされていました。僕が少しでも騒ぐと、「お兄ちゃんがピアノの練習しているのにうるさい!」と怒られましたよ(笑)。ちなみに兄は音大を出て、現在はアレンジャーをやっています(註:作曲家/編曲家の岩崎文紀氏)。

- お兄さんの部屋のギターを発見してからは、野球から楽器に転向という感じですか。

いや、そういうわけでもなくて、たまにギターを弾きながらも一番夢中だったのは野球でした。でも悔しいことに、中学二年生のときに膝を悪くして野球を続けられなくなってしまったんですよね。それで意気消沈しているときに、当時の担任が音楽の先生で、「お前、声が大きいから合唱部に入ってみれば?」と誘ってくださったんです。最初は、「合唱部? そんなの嫌だな」と思ったんですけど、女の子がたくさんいたのでフラフラと入ってしまったんです(笑)。それで入ってから後悔したんですけど、その合唱部というのが県内敵無しの有名な合唱部で、練習が超厳しくて。でも負けず嫌いだったので、お金持ちの坊ちゃん風のヤツが上手く歌っているとイラっとくるわけですよ(笑)。それでどんどん歌にのめり込んでいったんですけど、合唱部で和声のおもしろさに気付いたのは大きかったですね。「何だ、この綺麗さは!」と思って、それでさらに音楽に興味を持っていきました。

- 並行してギターも弾き続けていたんですか?

そうですね。親にエレクトリック・ギターを買ってもらって、中学三年生のときに友だちとバンドを始めました。バンドと言っても、当時はニューミュージックが全盛だった頃なので、バンド形式のフォークですよね。チューリップのような感じのバンドをやっていました。

でも、ギターを弾く人間としては、そういう感じの音楽は少々物足りないわけですよ。だからハードロックとかも聴き始めて、家ではガンガンに弾いていました。あの頃が人生で一番ギターが上手かったと思いますね(笑)。聴く方は、プログレよりもロック、ロックでもレッド・ツェッペリンよりはディープ・パープルの方が好きでした。根がミーハーなので、難しい音楽よりも分かりやすい音楽の方が好きなんです。

- バンドは高校に進学してからも続けて?

本当におめでたい性格だったので、中学のときに始めたバンドでメジャー・デビューすると決めていたんです(笑)。大学なんて行く必要ないじゃんって。高校に入ってからは、ギターだけでなくドラムも始めました。僕、極めるまではいかないんですけど、どんな楽器でも割とすぐにできるようになるんです。軽音に所属しつつ、吹奏楽部でビッグバンドのドラムをやったり。もう音楽漬けの毎日でしたね。

- オリジナル曲を作り始めたのは?

デビューするにはやっぱりオリジナル曲がないとダメだろうということで、高校二年生くらいから作り始めました。作った曲は、当時ボーカルだったヤツにメロディーを口ずさんで教えるわけですけど、そんなことをやっているうちに「オレが歌った方がいいんじゃないか?」と思い始めて。でも、ボーカルのヤツにいきなり「今日でやめてくれ」とは言えないので、しばらくはツイン・ボーカルでやってました(笑)。

高校三年生のときは、デビューするために合宿生活もしましたね。『ポプコン』とかのコンテストにも出場していたんですけど、自分たちの良さを人に伝えるにはデモ・テープを作った方がいいんじゃないかと思って。僕自身、ライブよりもレコードのサウンドの方が好きだったんです。それでカセットMTRを使ってデモ・テープを作りまくりました。当時はパーソナル・ユースのデジタル・リバーブが無かったので、ギター・アンプ内蔵のスプリング・リバーブを使ったりしていましたね(笑)。

- 作ったデモ・テープはコンテストに応募して?

その頃、ウチの兄が駆け出しのアレンジャー/キーボーディストとして業界にいたので、まずは兄に託しました。兄の大学の先輩に、日本で最初に Fairlight を使った TPO の天野さん(註:天野正道氏)がいらっしゃって、そのお兄さんがワーナーのエンジニアだったんですよ(註:天野正行氏)。兄がその方にデモ・テープを渡したら、「おもしろい」ということになり、月に1度デモ・テープを聴いてもらうようになったんです。

それである日、天野さんから「マンドリンを持ってるか?」という電話が入って、当然持っていなかったので、「12弦ギターなら持ってますよ」と答えたところ、「それでいいから持って来て」と言われて。最初は楽器を貸してほしいということかなと思ったんですが、スタジオに行ってみたら、「その12弦ギター、マンドリン風に弾いてみて」と言われたんです。その頃から僕、聴けば歌える、歌えれば弾ける、という人だったので、言われるがままに12弦ギターを弾いて - それが最初のレコーディング仕事です(笑)。シンセサイザーの喜多郎さんの楽曲をオーケストレーションするという企画もののアルバムだったんですけど。その仕事がきっかけで喜多郎さんの事務所の社長に気に入られて、以降、喜多郎さんとの企画シングルや、いろいろな仕事をいただくようになりました。

- その頃、バンドはどんな感じだったんですか?

もちろん続けていましたよ。で、一人で楽器を弾いたり、コーラスで歌ったり、そういう仕事をかなりやるようになったんですけど、ギャラが良くなかったんです。でも、「ギャラを上げてくれ」と言うのも何だなと思い、「空き時間にスタジオを使わせてください」とお願いしたんですよ。当時はまだDAWのような便利な機材はありませんでしたし、ちゃんとしたデモ・テープを作るにはスタジオを使うしかなかったんです。それでスタジオを使わせてもらえるようになって、デモ・テープを作り、レコード会社15社くらいに送りつけました。何の繋がりも無かったんですけど(笑)。そうしたら13社から「会いたい」という返事が来たので、面接に行ったんです。でも、バンドのデモ・テープと言っても、結局のところ曲を書いているのは僕で、歌っているのも僕なわけですよ。なので、どの会社も「バンドじゃなく、君だけならチャンスがある」という話で。そんな中、キティー・レコードだけが「バンドでやってみようか」と言ってくださったんです。当時、僕の中ではキティー・レコードとCBS・ソニーの2社は別格だったので、「ぜひお願いします」ということになり、晴れてデビューが決まったという感じです。

- それが岩崎元是&WINDYですね。

そうです。1986年にデビューして、アルバム2枚、シングル4枚作りました。ファースト・アルバムは全部自分たちでやって、セカンド・アルバムは匠の技が知りたかったということもあり、井上鑑さんにプロデュースをお願いしました。でも、そこそこいいところまでいったんですけど、あんまり売れなかったですね(笑)。それで88年の頭にレコード会社との契約は解除になったんですけど、僕だけは残されて、コーラスなどの仕事をやるようになりました。井上鑑さんにいろいろなレコーディングのコーラスの仕事に呼んでいただくようになって、それから徐々にアレンジやCM音楽なども手がけるようになったという感じです。自分で曲を書いて、アレンジをして、楽器を弾いて歌まで重ねてしまう、今時のクリエイターのハシリだったのではないかと。何でもやりまっせの精神で今に至ると(笑)。

- これまでのキャリアの中で転機というと?

大森昭男さんというCM音楽界の大物プロデューサーに可愛がっていただいて、たくさん仕事をいただくようになったんですけど、その中でもビールのCMは大きかったですね。ザ・ロネッツのようなオールディーズ・サウンドで、歌は細川たかしさんだったんですけど、すごく話題になったので、すぐにフル・コーラス版を作ることになったんです(註:1991年リリースの細川たかし『応援歌、いきます』)。細川たかしさんは紅白でもその曲を歌ってくださって、それが無ければ今の僕は無いんじゃないかと思います。大森昭男さんをご紹介いただいた井上鑑さんには感謝していますね。

もう一つ挙げるなら、やっぱり『とっとこハム太郎』の劇伴ですかね。それまで歌の無い音楽はよく分からないのですべてお断りしていたんですけど、ものは試しで受けてみたら、番組自体が大ヒットして。それまでもアイドルやアニメ、ゲーム、声優さんの歌ものは、たくさん手がけていたんですが、ちゃんとしたアニメの劇伴仕事はそれが最初だったんです。ハム太郎効果のおかげでアニメの作曲家として知られるようになってしまいました(笑)。ハム太郎の仕事は2000年から2005年までやったんですけど、3〜4年目からはエンジニアリングもすべて自分でやるようになりました。今に繋がっているという意味では、一番大きな仕事だったのかもしれません。

- ご自身のサウンドの特徴は、どのあたりにあると思っていますか。

フィル・スペクター、ウォール・オブ・サウンドには強く影響を受けているので、やっぱりそういうサウンドなのかなと思っています。ウォール・オブ・サウンドは、すべてが決め事なので、勝手なテンションとかは許されない。盛大で華やかで単純で爽快。いまだに大好きですね。

作曲/編曲用のCubase、レコーディング/ミックス用のPro Toolsと、2台のDAWを併用


- 岩崎さんの宅録史について教えていただけますか。

WINDY 時代、レコード会社が買ってくれた Yamaha の RX11 と Fostex の8トラックMTRがあったんですけど、バンド解散後に1年間仕事をしたギャラとしてそれらを貰ったんですよ。それに兄から借りたYamaha QX21 と同じく DX7 を加えたセットで始めたのが最初ですね。ギターやベースは自分で弾いて。

その後、アイドルの仕事でレコンポーザの使い手と出会ってしまって、目の前で魔法のように打ち込む姿を見て、これは自分もコンピューターを買わないとダメだと思い、ATARI MEGA4 と Steinberg Cubase を手に入れました。当時、もう Mac もあったんですけど、めちゃくちゃ高くて、ATARI ならMIDI端子も付いてていいなと思って。コンピューター自体、よく分かってなくて、しかも当時の音楽ソフトはすべて英語かドイツ語だったんですけど、英文のマニュアルと格闘しながら半年くらいいじり倒しましたね。今振り返っても、あの集中力は何だったんだろうと思いますよ(笑)。その後、日本語マニュアルが届いたときは9割方知っていることばかりでした。

- Cubase ではどのような音源を鳴らしていたんですか?

Roland U-110 とか Korg M1 とか Roland R-8 とか、PCM音源中心ですね。僕はそんなにシンセサイザーの音づくりが好きではなくて、生楽器の音を鳴らしたかったんです。僕にとってシンセサイザーは、オルガンなどのスタンダードな楽器と同列で、Minimoog のような代表的な音色しか使わない。今でもシンセサイザーを使ってゼロから音を作るということには興味はありません。

そうそう、当時 Yamaha SY77 というオール・イン・ワン・タイプのシンセサイザーがありましたけど、あれのヒューマン・ボイスって僕なんですよ(笑)。SY77 のライブラリーをプロデュースされた井上鑑さんに頼まれて録音したんです。エンジニアは田中信一さんで、女声のヒューマン・ボイスはやまがたすみこさん。自分の声が世界中で使われるというのはとても興奮しましたね(笑)。当時、井上鑑さんは僕の声をとても気に入ってくださって、おもしろがって E-mu Emulator に録音して自分のアレンジで使っていました。だから当時の井上鑑さんプロデュースの曲には、僕の声がよく入っていたんです(笑)。

- 現在も Cubase Pro をお使いのようですが、DAWに関してはずっと浮気せず?

いや、いろいろ使いました。ATARI MEGA4 は大きく、スタジオに持ち込むのが大変だったので、Cubase の Mac 版が出たタイミングで Macintosh SE/30 を買って。でも Cubase の Mac 版、ATARI 版と比べるとMIDIのタイミングが良くなかったんですよ。気付くか気付かないかというレベルではなく、本当に良くなかった(笑)。それで MOTU Performer に乗り換えたんですけど、文字の小ささとアレンジ画面のデザインにどうも馴染めなくて。そんなときに発売になったのが Opcode Systems Studio Vision で、コンピューターでオーディオを扱い始めたのはこのときからですね。Studio Vision は悪くはなかったんですが、ショート・カットの問題があったりして、しばらくして Cubase に戻りました。その後、レコーディング/ミックス用に Avid Pro Tools を併用し始めて、正直音に関しては良いと思ったことはなかったんですけど(笑)、編集ウィンドウが最高に使いやすかったんです。DSPによる安定性も良かった。以降、曲作り/アレンジ用の Cubase、レコーディング/ミックス用の Pro Tools という感じで併用し続けています。

- 現在のシステム構成について教えてください。

作曲/アレンジ用DAWは Cubase Pro で、オーディオ・インターフェースは MOTU 2408 を使用しています。それとは別に、レコーディング/ミックス用の Pro Tools | HDX システムがあり、MOTU 2408 と HD I/O をADAT端子でデジタルで接続しています。曲作りの際も、Pro Tools を通った音をモニターしていて、アレンジができあがったら Pro Tools に流し込むという流れですね。Pro Tools がシンク・マスター、Cubase がスレーブで、同時に48チャンネル送れるんですが、チャンネルが足りない場合は何度かに分けて。サンプル・レートは以前は44.1kHzだったんですが、最近は48kHzで、32bit floatで作業しています。オーディオ・インターフェースを通るときに24bitになってしまうんですけどね。サンプル・レートはCDが前提の場合、マスタリング時に変換するのが嫌だったので、以前は44.1kHzで作業していたのですが、今は48kHzで作業し、一回アナログで出して1bit/5.6MHzのDSDレコーダーに録って、それを16bit/44.1kHzでマスタリング・ソフトに録り直しています。これだと変換やディザーを使わなくて済みますからね。

- Cubase 側ではエフェクトは使用しないのですか?

いや、僕の場合は Cubase 側でかなりミックスを追い込みます。なので Pro Tools に録音する段階では、フェーダーは一列で、ほぼミックスは完成している。でも、歌やギターの録音は Cubase ではやらないので、ミックスというよりレコーディングのために Pro Tools を使っている感じですね。Cubase と Pro Tools で32bit floatのままファイルをやり取りせず、同期させて録音しているのは、その方が安心できるから。実際の音を聴きながら Pro Tools に移した方が安心ですからね。昔は Pro Tools セッションをエンジニアに渡してミックスしてもらっていたんですが、最近はほとんどここで完パケまで作ってしまいます。歌やアコースティック・ギター以外の楽器は、なるべくスタジオで録るようにしていますけどね。

- Cubase で使用頻度の高いソフト音源というと?

ドラムは FXpansion BFD 3 ですね。以前は XLN Audio Addictive Drums を使っていたんですけど、アンビエンスを使わずにマルチ・マイクで音像を作ることを考えると、やっぱりBFD 3 が一番いい。BFD 3 は、1個1個の音の密度が高くて、EQにしっかり引っかかってくれるのが良いんです。

ベースは悩みどころなんですけど、Spectrasonics Trilian が一番多いですかね。ただ、Trilian ってプリセットそのままで使う分にはいいんですけど、グリッサンドなどマルチで使ったときの発音タイミングがイマイチなんです。なので、Celemony Melodyne を使って波形で補正しています。Melodyne はシャッフルのパーセンテージが細かく設定できないので、最終的には手動での補正が必要になるんですけど。

最近、Trilian に加えて IK Multimedia MODO BASS も使い始めました。Trilian と比べると発音タイミングは完璧ですし、「竿の音」がしっかりする。動作も軽快で、やれることが多くておもしろい音源ですね。ただ、僕が使い慣れてないからか、低域が少しシンセっぽいんですよ。そのあたりは Trilian の方が良かったりする。だからちょっとミックスに時間がかかるんですよね。今のところ Trilian が奥さん、MODOBASS は愛人という使い分けです(笑)。

- 上モノに関しては?

ピアノを含め、メインはNative Instruments Kontakt のライブラリーです。昔はいろいろ使ったんですけど、やっぱり Kontakt が一番馴染みがいい。でも、Kontakt も完璧ではないので、自分で補正しないとダメですね。例えばピアノなんかも、凄く良いライブラリーでも、キーによってはボイスで言うところのフォルマントやレゾナンスの違いが気になってしまったり、あるノートのピッチが悪かったり。必ず調整してやる必要がありますね。

Kontakt 以外で使うのは、IK Multimedia SampleTank 3 です。マルチ音源の中では、最も音のクオリティが良いと思っています。例えば、エレピなんかは Kontakt のライブラリーではなく SampleTank 3 を使いますね。チューニングが少し面倒なんですけど(笑)。他に出番が多いのは、Spectrasonics Omnisphere と Stylus RMX。劇伴の仕事では、Stylus RMX と Kontakt のライブラリーが無いと生きていけませんね(笑)。

UADプラグインの魅力はアナログ機材のような使用感。パラメーター値が数値で表示されないのがいい。


- 現在は Universal Audio UAD-2 を愛用されているとのことですが、UAD を使い始めたきっかけを教えていただけますか。

エンジニアの山内くん(註:山内"Dr."隆義氏)から、「岩崎さん、UAD めちゃくちゃ良いですよ」という話を聞いて、それで興味を持ったのがきっかけですね。最初は、「オレはエンジニアじゃないしなぁ」とか思っていたんですけど、いろいろ調べるうちに無性に欲しくなってしまって(笑)。それで4〜5年前に UAD-2 OCTO を入手しました。まだ今ほど皆が使い始める前、大ブレイク前夜に使い始めた感じです。

- Pro Tools | HDX システムをお使いということで、DSPパワーは問題なかったと思うのですが、UAD のどのあたりに惹かれたのですか?

やっぱり実機シミュレーション系のプラグインですね。Waves は Mercury や SSL 4000 Collection を入れてありますし、Sonnox や McDSP といったところも一通り持っているので、「もうこれだけあれば十分」と思っていたんですけど、意外とアナログ機材のような感じでガツンとかけられるプラグインが無かったんです。僕は基本ミュージシャンなので、自分自身で名機と言われている機材をそれほど使ってきたわけではないんですけど、それでも 1176 や 33609 といった機材の良さはスタジオで見てきて十分理解していたので。それらがDAW上で使えるのなら最高だなと思ったんです。

- 実際の使用感はいかがでしたか?

本当にアナログ機材のような使用感で、サウンドも使い勝手も想像以上でしたね。どのプラグインも音を劇的に変えてくれるんです。UAD を使い始めて以降、Waves の実機シミュレーションものはまったく使わなくなりました。個人的に一番気に入っているのが、ツマミにパラメーター値が表示されないところ。Waves は数字が表示されるので、0.1の違いにこだわってしまったりするんですけど、UAD は数字が表示されないので耳だけを頼りに操作することができるんです。でも、たまに数字で確認したいときもあるので、パラメーター値を表示できるモードもあったら嬉しいですね(笑)。マスタリングなどの繊細な作業では、0.01dBのレベルの違いが重要になってきますから。そうそう、UAD のプラグインは日本語マニュアルが用意されているのも嬉しいですね。日本語マニュアルによって、「あ、そんな機能があったんだ」と気付くことができる。

- 特に気に入っているプラグインを教えてください。

ダイナミクス系では Manley Variable Mu Limiter Compressor がダントツに気に入っています。Manley Variable Mu を手に入れる前は、マスターの一番最初にインサートして音を馴染ませる用に、Waves か UAD の SSL G-Master Buss Compressor を使っていたんですが、どちらもしっくりこなかったんです。そんなときに入手したのが Manley Variable Mu で、これは自然で滑らかなコンプレッションが本当に素晴らしいですね。それでいてしっかりレベルも上げられる。ウェット/ドライのバランスを設定できるのもいいですし、最近はマスター・トラックでは必ずと言っていいほど使っています。Fairchild も好きなんですけど、あれは僕の中ではコンプレッサーと言うより楽器みたいなもので(笑)。鼻が詰まったようなロンドン・サウンドが簡単に得られるので、そういった音が欲しいときは重宝していますね。

Manley Variable Mu Limiter Compressor プラグイン

- 他に使用頻度が高いものというと?

EMT 140 Classic Plate Reverberator です。ウォール・オブ・サウンド・マニアとしては、当然リバーブ・フェチなので、EMT 140 のシミュレーションものは全部と言っていいくらい持っていますけど、UAD の EMT 140 が一番良いですね。何が良いかって、リバーブ音が見えないのが良いんですよ。リバーブ音を聴かせたくはないんだけど、ドライは嫌だというときに凄く良い。ユーザー・インターフェースも使いやすいですしね。少し前に Waves からも Abbey Road Plate が出ましたけど、僕にとっては少々主張し過ぎる音でした。ただ、UAD の EMT140 はプリ・ディレイの数値がアバウトなので、僕の場合は前段に別のディレイをインサートしてプリ・ディレイ用に使っています。

EMT 140 Classic Plate Reverberator プラグイン

- Waves と上手く棲み分けができている感じでしょうか。

そうですね。Waves も一時期シミュレーションものに力を入れ始めましたけど、もう「そっちは UAD に任せる」という方針に転換したのか(笑)、最近は UAD とは違うタイプのプラグインに集中している感じがします。だから最近リリースされた Waves は凄く良いですよ。いい感じで UAD と棲み分けができている印象です。

- 今後、UAD に望むことというと?

先ほども言ったパラメーター値が見えるモードの搭載と、あとはエディットができなくても再生はできる、再生専用のプラグインを安く販売してほしいですね。UAD プラグインを使用しているどんなファイルでも再生はできる "プレイバック・オンリー・バンドル" というか(笑)。これは Universal Audio と Waves にはぜひ検討してほしいですね。発売されたら爆発的に普及すると思いますよ。最近は、どのスタジオでも再生できるように、「標準のプラグインしか使わない」という人が増えていますから。でもやっぱり、本音を言えば、オーナーは UAD や Waves を自由に使いたいと思うんですよ。

- いろいろな仕事を手がけられている岩崎さんですが、最近の自信作を挙げていただけますか。

昨秋リリースした木戸やすひろさんの新作『KID 65~奇跡のかけら』(キングレコード)ですね。木戸やすひろさんって、日本の音楽業界では知らない人はいない男性コーラスのレジェンドで、そんな木戸さんの実に40年ぶりのソロ・アルバムなんです。以前からお付き合いがあって、今回は共同アレンジ、プログラミング、ミックス、マスタリングと全面的に参加させていただきました。ギターもほとんどぼくが弾いてますね。すごく良質のシティ・ポップで、ぜひたくさんの人に聴いていただけたらと思います。

- 最後に、岩崎さんのような作曲家/アレンジャーを目指している若者にメッセージがあれば。

今は音楽を生業にするには、あまりよくない時代だとは思うんですけど、テレビは多チャンネルになりましたし、音楽コンテンツ自体の需要はむしろ増えていると思うんです。作った音楽をお金に換えるのが難しい時代ではあるんですが、個人的には今は過渡期であって、この後必ず良い時代が来るのではないかと。ですので、ぜひやめずに続けてほしいですね。作曲家やアレンジャーという仕事は免許があるわけではないので、やめずに続けることがすべて。あとはあまり周りの言うことに惑わされない方がいいですね。これは機材の使い方に関してもそうですけど(笑)。

- 写真:鈴木千佳
- テキスト:ICON

岩崎元是(いわさき・もとよし)

作/編曲家、ボーカリスト。
80年代ジャパニーズ・シティポップ全盛期のアーティスト活動を経て、その後スタジオ・コーラス・ミュージシャン、作/編曲家として多くの作品に参加。J-POP、アニメ、劇伴、ゲーム関連、CM等、幅広い制作に携わり、近年はミキシング、マスタリング等のエンジニアリングも自身で手がける。クリエイトの範囲を益々広げる、自称「歌わぬシンガーソングライター」。

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