ビートメイキングやガレージバンドでの演奏に始まり、Paramount Recording でのオペレーターやアシスタント業を経て、ヒップホップ界の大御所である Tyler, the Creator、Solange、Mac Miller、そして Frank Ocean のエンジニアとしての地位に至るまで、プロデューサー/エンジニアの Vic Wainstein は、その固い決意と弛まぬ努力で出世してきました。
Tyler, the Creator のグラミー受賞アルバム『Igor』において、Tyler のビジョンを具現化するために、Wainstein は自身の引き出しにあるトリックを深く掘り下げました。ここでは、彼がどのようにして UAD プラグインと Apollo インターフェイスを駆使し、アルバムを完成させたかについてご紹介します。
- Igor は、「トラディショナルな」ヒップホップ・アルバムではありません。Brian Wilson がプロデュースした The Beach Boys の作品のヒップホップ版のように感じる時もありますね。
Tyler は、最近のインタビューで、Pusha T と Stevie Wonder が一緒になったようなサウンドだと説明しているよ — ふんだんに盛り込まれたコードと強靭な808のビートといった面でね。
Tyler の作品は、商業的に受け入れられるものの限界をプッシュする傾向があるから、彼が何を達成しようとしているのか理解できない人もいると思うんだ ─ とくに他のラッパーにとってはね。「Tyler は変わってるな。なんでこんなハードな音楽に、ああいうこぎれいなコードを乗せてるんだ?」みたいな感じさ。しかし Tyler は、そういったことに価値を見出してきたんだと思う。
一緒に仕事をするようになってからも、彼のレンズを通してラップミュージックを見ることを学ばなければならなかった。そして、彼が新しいサウンドを一つの作品としてまとめようとし始めた時、俺はそれに乗っかったんだ。なんでもやってみようぜ。失敗しても、きっと何かを得ることができるだろう、ってね。
- 最近のアーティストは、手慣れたDAWを使って自ら録音を行うことが多いですよね。そうした状況における舵取りについて、どうお考えでしょう?
いま、新しいアーティストと制作に入る時には、必ず3つの質問攻めをされるんだ。「Ableton Live は知ってるよね?」「Logic は?」「Pro Tools は使える?」— そこは押さえといたよ。どんなエンジニアでも、複数のDAWに慣れることをオススメする。間違いなく役に立つからさ。
俺はあらゆる作業を Pro Tools で終わらせる。でも Tyler は Logic Pro を使っているから、クリエイティブなプロセスはそこから始まるんだ。すべての制作をその環境で行ってから、Pro Tools にインポートしているよ。Mac Miller の場合は、Ableton からだ。というわけで、さまざまなアーティストのワークフローに慣れる必要があったから、結果として複数のDAWを使いこなすことができるようになったんだよね。
ガイドラインなんて存在しない。本当に優れた新しいラップミュージックは、限界に挑戦しているものだけだよ。
- DAW間でファイルを渡すシンプルな手段として、Apollo と Console アプリが使われたとお聞きしました。
そうだね。まずは Logic から Pro Tools へトラックをバウンスすることから始めたんだけど、Tyler の耳には — 彼は音像の中での各要素の配置についてとても明確なものを持っているから、なかなかしっくりこなかったんだ。808の忠実性が損なわれ、研磨されたようなシンセもイマイチで。バウンスのためにあらゆる手を尽くしてみたけど、厳しかった。
それまで Apollo を使ってみたことはあったけど、A$AP Rocky とトラックを作るまでは、ピンときてなかった。でも、彼のエンジニアである Hector Delgado が「Apollo を使えば、全トラックを一気に Pro Tools に流し込めるぜ。」って教えてくれてさ。試してみたら、うまくいったよ。
- Console の設定について教えていただけますか?
I/Oテンプレートを作って、Logic から出力される各チャンネルが、対応する Pro Tools のトラックに送られるようにしたのさ。以前は Logic から Pro Tools 用に AIFF ファイルをバウンスして、それらを UAD プラグインで処理していたんだけど、これでトラックとステムの転送に関するまったく新しい扱い方を覚えたよ。
Pro Tools に流し込む途中で、各トラックに強力な UAD プラグインを使い、サウンドをコミットできるんだ。トラックをミキサーの Neal Pogue に渡す時点では、もうサウンドはできあがっていて、すぐに使える状態になっていた。
- Igor のボトムエンドは素晴らしいですね。緻密で複雑なアレンジの中で、どのようにスペースを確保しているのですか?
2015年に俺もエンジニアとして携わった Tyler のアルバム『Cherry Bomb』での Mick Guzuaski のミックスを聴き、サブハーモニック・プロセッサーの存在に目が向いたんだ。808の魅力を損なわずに維持することはとても大きな課題だよ — ミックスで適切なスペースを確保することがどれほど難しいことか。そこで、Little Labs VOG プラグインの登場さ。低域をタイトにしてディテールを加えるのにうってつけで、808用の妙薬の一つだね。
また、Empirical Labs Fatso Jr and Sr は、 とくにキックやスネアに向いてるよ。たいていは Empirical Labs Distressor を微調整して使うんだけど、Fatso はキックの抜けを良くし、積み重ねた気まぐれなウワモノの中でもビートの存在感をしっかり出してくれるんだ。
- ドラムやミックスバスに関する秘訣はありますか?
Shadow Hills Mastering Compressor は重宝した。何にでも使えるけど、とくにミックスバスに使うのが好きなんだ。頻繁に使うし、その効果について理解もしているんだけど、とにかくパラメーターが多いから、何が起こっているのかを常に意識しておく必要がある。たっぷりトラッキングをやった後に、ちゃんとソースを聴いていなかった…なんてことは避けたいからね。
ミックスバスには SSL G-Master Buss Compressor もイイよ。SSL は、俺が最初に慣れ親しんだレコーディングデスク。Paramount には K シリーズ以外のすべての SSL が備えてあって、そこで E シリーズ、J シリーズ、G+ について学んだんだ。レコーディングを行った日の終わりには素材をまとめておかなければならないから、象徴的な SSL Quad Compressor を使うことは自然な流れだった。
Little Labs VOG は、808用の妙薬の一つだ。
実のところ、ラップのドラムにはハードピークがあまりないから、コンプレッションを使う場合は、一体感を出すやり方を見つけ、出力ゲインを使ってロスを補完し、後続の機器のために信号をレベルアップするってことが大切だね。
- この作品のボーカルはワイルドですね、奇妙な「キャラクター」の声の多くは Tyler 自身のものではないかと疑ってしまいます。
まあ、Kanye West、Lil Uzi Vert、Playboi Carti、Solange、Jerrod Carmichael といったアンサンブルキャストはいたんだよ。でも、その通り、ランダムで奇妙なボーカルの大半は Tyler だった。
彼はたいてい、Gap Band の Charlie Wilson や Boyz II Men の Wanya Morris、Cee-Lo Green など、念頭に置いているゲストラッパーやシンガーのために、参考用のトラックを作るんだ。Odd Future でもそうしてたけど、Igor ではそれをさらに推し進めようとしたんじゃないかな。場合によっては、彼が再現しようとしていたゲストシンガーよりも、彼の「モノマネ」バージョンの方を気に入ってしまったこともあったね。
- ボーカル用のプラグインチェーンはどうなっていますか?
典型的なボーカルチェーンとしては、Neve 1073 Preamp & EQ Collection、610‑A、あるいは API Vision Strip プリアンプ。次に、Pultec EQP‑1A または FabFilter Pro‑Q 3EQ。そしてコンプレッサーは、Rev A “Bluestripe” 1176 もしくは Fairchild 660 だね。
SPL Vitalizer MK2‑T は、多くのボーカルの他、ちょっと強調したかったりリッチさが必要だったグランドピアノのサウンドにも使ったよ。サチュレーションとハーモニックディストーションについては、Thermionic Culture Vulture がイイね。こいつは、Igor で聴くことのできるアグレッシブなシンセサウンドを生み出すための強力なツールさ。
- Igor でのサウンドの方向性について、参考にしたものはありますか?
この作品のクリエイティブな方向性に関する良きリファレンスとして、70年代後半から80年代前半のパンク・ロックのレコードを聴いてみて欲しい。そこでは、他のすべてのものと戦わなければならなかった、攻撃的なギターの壁がある。俺たちのシンセの扱いがそれなんだよ。だから、Culture Vulture は天からの恵みと言えるものだった。MXR Flanger/Doubler と Studio D Chorus も頼りになったね。
- 新進気鋭のプロデューサーやエンジニアたちへ、アドバイスをお願いできますか?
すべての曲やミックスには、その場で対処しなければならない問題が含まれている。若いエンジニアの多くが、「いっちょ調整しといたから大丈夫」みたいなアプローチを取っているようだ。しかし俺はこれまでの経験から、ミックスに含まれる問題は単純ではなく、臨機応変な解決が必要だということを知っている。
あとは、自分の耳を信じること。忘れられがちになっているけどね。全てのものを特定の基準に合わせて調整していると、耳を頼りにしなくなるリスクがある。そんなことにならないように。
— James Rotondi