エンジニアの仕事は安定していないとダメ。良いときもあるけど、ダメなときもあるというのでは使えない。- 岩崎元是
- お二人の付き合いは長いんですか?
岩崎:長いですねぇ。もう20年以上?
木村:そうですね。最初にお会いしたのは、ぼくが26〜27歳のときですから、もう四半世紀も前のことですね。
岩崎:あるレコード会社の仕事でアレンジを手がけた曲があって、エンジニアは誰にしようかとなったときに、“アシスタントから独り立ちしたばかりの若者だけど、なかなか良い子がいるから使ってみてよ”と、ディレクターが紹介してくれたのが木村くんだったんです。
木村:あの頃の岩崎さん、凄いセットをスタジオに持ち込んでましたよね。
岩崎:わははは(笑)。これはちょっと自慢なんですけど、確か1995年くらいだと思いますが、ぼくは当時から BFD のようなことを自力でやっていたんです。AKAI のサンプラーを3台使って、スナッピーの成分、胴鳴りの成分とか、20数チャンネル卓に送ってドラムの音を作っていた(笑)。
- 本物のドラマーにお願いした方が早くレコーディングが終わりそうですね。
岩崎:ぼくは当時からドラマーに頼むのがあまり好きではなくて…。本当にその曲に合ったドラマーにお願いできて、本当に良い環境で録音しなかったら、ドラマーにお願いする意味が無いと思っているんです。これは今でもそうですね。だから当時から、すべてを自分でコントロールできるシステムを組んでいたんですよ。
木村:あんなに凄いセットを組んでいた人、岩崎さん以外見たことなかったですね(笑)。
岩崎:BFD が発売になったときに木村くんに、「ようやく時代が岩崎さんに追いつきましたね」と言われましたよ(笑)。まぁ、そういうマニアックな作業が好きだったんですよね。ミックスもボブ・クリアマウンテン風とか、ヒュー・パジャム風とかオーダーしたり(笑)。
そんな話はさておき、それが木村くんとの最初の仕事で、すぐに "彼は大丈夫だな" と思ったんです。仕事が早いし、覚えもいい。もちろん今の耳で当時の音源を聴くと、自分のアレンジも含め、ダメだったなと感じるんですけど(笑)。
木村:当時、ちょうど勤めていたスタジオをやめた頃で、そろそろどこかのスタジオに就活しようかなとか考えていたんですけど、そんなときに岩崎さんからちょこちょこ仕事をいただくようになって。それで徐々に人脈ができていって、今に至っているという感じはありますね。
岩崎:何本か一緒に仕事をした後、某ゲーム会社からサウンドトラックというか、歌ものの楽曲を大量に作るという仕事が入って。「エンジニアは誰にします?」と訊かれたので、木村くんを推薦したんです。
木村:あの仕事は凄かったですよね。
岩崎:数年続いて、何百曲も作ったよね。めちゃくちゃヒットしたゲームだったので、もう毎月のようにアルバムが出るわけですよ。もちろん、ぼく以外の作家も参加していたんですが、半分以上はぼくがやったんじゃないですかね。リズムはすべて打ち込みで、ギターは梶原順くんや松原正樹さんにお願いして。あれは凄い仕事でした。
木村:エンジニアとしての技術は、スタジオに勤めていた時代に、外からやって来るエンジニアの仕事を見て学んだんですけど、それを実際の仕事で試すチャンスがなかなか無かったんです。それがようやくその仕事で試すことができた。そういった意味でも、自分にとっては大きな仕事でしたね。
岩崎:木村くんが良かったのは、仕事が安定していたところ。こういう仕事って、安定していないとダメで、良いミックスを作るときもあるけど、ダメなときもあるというのではなかなか使えない。あとはリバーブの使い方も上手かった。リバーブって凄く難しいエフェクトで、使い方次第で薬にも毒にもなるんですよ。木村くんには最初に、「オレが好きなリバーブはこういう音だから」と言って、薄くて長くてまとわりつかないリバーブの音を聴かせたんですけど、その後はちゃんとそういうリバーブを付けてくれて。なかなかあの残響が作れるエンジニアはいなかったので、いろいろな人に紹介しましたね。そのうち忙しくなっちゃって、ぼくが仕事を頼んでも断られるようになりましたけど(笑)。
- 当時の機材は、SSL と PCM-3348 という感じですか?
岩崎:そうですね。木村くんとは PCM-3324 は使ってないと思う。
木村:岩崎さんはチャンネル数が多いんです。さっきも言った通り、ドラムがとにかく多いですし、コーラスもめちゃくちゃ重ねますから。
岩崎:PCM-3348 でも足りないくらい(笑)。スタジオはいろいろ使いましたね。中でも MIT STUDIO や Freedom Studio が多かったかな。
- Pro Tools を使い始めたのは?
岩崎:ぼくは2001年頃だと思います。最初に買ったのは、HD になる前の Pro Tools | 24 Mix ですね。その頃になると、スタジオでも PCM-3348 はほとんど使われなくなっていて、Pro Tools に直接録るという感じになっていました。自分でエンジニアリングを始めたのもそれくらいからなんですが、最初はレコーディングだけでしたね。自分のスタジオの Pro Tools に録って、そのデータをスタジオに持って行ってエンジニアにミックスしてもらうという感じでした。
ミックスまで自分でやるようになったのは、ある仕事でお願いしたエンジニアが本当にひどかったんですよ。バランスが悪いわ、仕事が遅いわ、態度も横柄だわで、本当にひどかった(笑)。こんなエンジニアにギャラを払ってお願いするんだったら、自分でやった方がいいんじゃないかと思い始めて。それとその頃から音楽業界は予算がどんどん縮小していって、ディレクターからも「岩崎さん、自分でレコーディングできるんだったら、ミックスもできるんじゃないですか?」と言われるようになったんですよ。本格的にミックスまでやるようになったのは、2000年代終わりくらいですかね。
木村:ぼくは Pro Tools | HD が出たときなので、バージョン6からです。
- 岩崎さんよりも遅かったんですね。
木村:そうですね。スタジオに入って卓でミックスする方が好きでしたし、単純にそれまでの Pro Tools の音が好みではなかったというのもあります。マウスでEQするというのも、何かUFOキャッチャーをやっているようで(笑)、馴染めませんでしたし。でも、Pro Tools | HD と 192 I/O が出て、これだったら大丈夫かなと思って、自分で一式購入したんです。いくら卓でのミックスが好きと言っても、この先は Pro Tools が中心になっていくんだろうなと思いましたしね。
- Pro Tools の登場は大きかったですか?
岩崎:音はともかくとして、やっぱり便利ですからね。テープ・レコーダーにようにアシスタントが間違えて消してしまうということも無いわけですし、巻き戻しの時間もかからない。昔はテープを巻き戻す時間に一息付けたんですけど、Pro Tools でそれが無くなってしまったので、エンジニアは大変だなと思います(笑)。
木村:レコーディングの歴史を振り返っても、音が良いことより便利なことの方が常に勝っているんですよね。
岩崎:なかなか深いことを言うねぇ(笑)。
木村:だってそうじゃないですか。テープもモノで使った方が音が良いのに、便利ということで4トラックになり、8トラックになり、16トラックになり…。音はどんどん悪くなっているのに、人間やっぱり便利な方を取ってしまうんです。Pro Tools が出始めのときも、みんな音に関しては「うーん」と言っていたのに、便利だからと使う人が増えていった。最近でこそ 96 kHz で作業する人が増えていますが、Pro Tools | HD が発売になったのは10年以上前なのに、みんなずっと 24 bit / 48 kHz で作業していたじゃないですか。それは 96 kHz や 192 kHz の音の良さよりも、24 bit / 48 kHz のハンドリングのしやすさ、ファイル・コピーの速さが勝っていたからだと思います。
- Pro Tools の音で完全に問題なくなったのは、浮動小数点処理の HDX が登場してからですか?
岩崎:そうですね。ぼくはアレンジまでは Steinberg Cubase でやっているんですが、ずっと Pro Tools よりも Cubase の音の方がしっくりきていたんです。でも Pro Tools | HDX からは違和感は感じなくなりましたね。
UAD プラグインで欲しいのは、"Bob's Room" が入っている完全な H3000 - 木村正和
- お二人ともミックス時はアウトボードを使用せず、すべてプラグインで処理している感じでしょうか?
岩崎:そうですね。トータル・リコールのことを考えたらすべて Pro Tools の中で済ませてしまった方がいい。ミックスではプラグインしか使用しません。
木村:Pro Tools を使い始めの頃はアウトボードを使うこともありましたけど、今は完全にプラグインだけですね。
- お二人が UAD を使い始めたのはいつ頃ですか?
岩崎:ぼくは7〜8年前くらいからです。AAX フォーマットにネイティブ対応する前、大ブレイク前夜ですね。
木村:ぼくは5〜6年前だったと思います。岩崎さんとか周りの人から「凄く良い」という話を聞いて気になっていて、AAX フォーマットに対応したタイミングで、そろそろ導入してみようかなと。
岩崎:ぼくのようなクリエイターは UAD を使い始めたのが早かったんですけど、エンジニアは少し後だったんです。なぜかと言うと、当時はまだスタジオに UAD が入ってませんでしたから。木村くんのようなエンジニアは、スタジオの Pro Tools で開かないプラグインはなかなか使えない。しかも UAD は、ハードウェアが無いと立ち上がらないので、プラグインをインストールすればいいというものでもないですしね。
- 実際に使い始めて、UAD のどのあたりが良かったですか?
岩崎:やっぱり実在するハードウェアの忠実なイミュレーションじゃないですか。他にもハードウェア・イミュレーションに力を入れているメーカーがありましたが、UAD のイミュレーションは次元が違いましたよね。
木村:1176 がリビジョン違いで揃っていたり、33609 や RMX など、実機で使い倒したものがたくさんあったので、それが凄く楽しかったです。
岩崎:Waves も一時期ハードウェア・イミュレーションをやっていましたけど、UAD のあまりの出来の良さに、最近はほとんど出さなくなっちゃいましたもんね。でも、Waves が最近力を入れているデジタルならではの処理ができるプラグインはめちゃくちゃ良いんです。なので敵対しているようで、いい棲み分けができているんじゃないかと。UAD と Waves は、プラグイン界の "ON"(王・長嶋)ですよね(笑)。
木村:めっちゃ例えが古いですね。そんなこと言われても、若い人分からないですよ(笑)。
- これは手放せないという UAD プラグインをおしえていただけますか。
木村:なんだろうな…。Ocean Way Studios はよく使いますね。あとは AMS RMX16 も好きでよく使っています。
岩崎:AMS RMX16 って何に使うの?
木村:80年代リバーブのザラッとした質感が欲しいときに…。タムとかに無性にかけたくなるときがあるんです(笑)。
岩崎:やっぱりドラムか。ドラム以外では使わないよね(笑)。
木村:あのリバーブは、オケが厚くってきても埋もれないのがいいんですよ。単純に音だけだったら他にも良いリバーブはあるんですけど、混ざったときに滲んでしまってリバーブが見えなくなってしまう。
岩崎:AMS RMX16 は、ノンリニア・リバーブのはしりだよね。あの後、ローランドから SRV-2000 が出てノンリニア・リバーブが市民権を得た。
- 岩崎さんはいかがですか?
岩崎:もうほとんどのプラグインが外せなくなっているんですけど、一つ選べと言われれば Manley Variable Mu Limiter Compressor ですかね。あれの滑らかさは本当にすごい。マスターには必ずインサートしますね。入力音が小さくなればなるほど、"こんなに音をまとめてくれているんだな" ということが分かる。もう一つ挙げるなら、EMT 140 Classic Plate Reverberator。本当にナチュラルな鉄板リバーブですよね。
- UADでこれが出てほしいというのはありますか?
木村:Eventide H3000 です。本家の Eventide から出ているんですけど、中途半端なんですよ。"Bob's Room" が入っている完全な H3000 が欲しいですね。500番台のプログラムが入っているやつ。
岩崎:ぼくはもう十分だなと感じているんですが、強いて言うならソニー DRE-2000(笑)。
木村:いまだに実機を持ってます。まったく使ってませんけど(笑)。
岩崎:ぼくがアーティスト活動をしていた時代に最も使われていたリバーブ。青春のリバーブだから(笑)。
木村:あとは EXR のエキサイターですかね。
岩崎:うわ、懐かしい! Dolby A のエンコーダーも欲しいですね。昔は Dolby A のエンコードだけして、デコードしないというのが流行ったんですよ。Dolby A のエンコードだけすると、サラサラしたEQでは作れない音になるんです。70年代のコーラスのシーシーした音に(笑)。
- 岩崎さんや木村さんは実機を知っている方々ですが、若い人の多くは実機をまったく使ったことがないと思います。そういう人にとっても UAD は価値のあるツールだと思いますか?
木村:別に実機を知っている必要はないと思います。同じ 1176 だって、個体によって音はバラバラなわけですから。とりあえず興味を持ったものを使えばいいのではないかと。
岩崎:ぼくは UAD がイミュレーションしているのは、楽器と呼んでいい機材ばかりだと思っているんです。ストラトやレスポールと同じで、その機材があったからこそ生まれた音楽もたくさんある。そういった伝説の機材がコンピューター上で使えるというのは最高ですよね。実際に音を聴きながらルーツを探ることができるわけですから。勉強の意味でも素晴らしいツールだと思います。
これからの時代、音楽家はいろいろなことをやっていかなければならない - 岩崎元是
- 岩崎さんは昨年、木戸やすひろ『KID 65〜奇跡のかけら』の収録曲『JULIA』で、権威ある『日本プロ音楽録音賞』(ニュー・プロミネントマスター賞)を受賞されました。
岩崎:もう驚きましたよ。ぼくはハイレゾとかにまったく興味が無いですし、100 Hz から 10 kHz の中で良い音を作ろうと思っている人ですからね。10 kHz より上の帯域を語る人とは友だちになりたくない(笑)。そんなヤツに賞をくれるんですから、偉そうな言い方になってしまいますけど、凄く懐の深い審査員の方々だなと。それまで『日本プロ音楽録音賞』のことはよく知らなかったんですが、授賞式で受賞曲を1曲ずつ聴かせていただいて、やっぱり凄いなと感じましたね。特に放送系の受賞曲は本当に素晴らしいサウンドで、ぼくのようなアレンジャーあがりの似非エンジニアには絶対にあんな音は出せない。良い勉強になりました。
- 岩崎さんの作品は、内沼映二さんが高く評価されていたようですね。
岩崎:寸評で、「エンジニアが本職ではない人が手がけたとは思えないサウンドで、本当に驚いた」と言っていただきました。DAWや機材の進化、各人のスキルの向上によって、非エンジニアでもそれなりのレベルのミックス/マスタリングがこなせる時代になったんだと思います。
それでもぼくらクリエイターは、プロのエンジニアには逆立ちしてもかないません。やはり基礎や理論がしっかりしているエンジニアの音は全然違いますし、特に木村くんのように大きなスタジオで仕事をしてきた人、アナログ・レコーダーの音を知っている人には絶対にかなわない。越えられない壁があるというか、やっぱり全然違いますよ。
木村:技術という意味ではそうかもしれませんが、音楽として良いものを作る上で必要なのはセンスですからね。ある程度技術は必要だとは思いますけど、そこから先はセンス。
岩崎:しかし今やクリエイターもエンジニアも垣根が無くなっているので、みんな何でもやればいいんですよ。昔のように曲を書いてれば食っていける、ギターを弾いていれば食っていけるという時代ではありませんから。木村くんだってそうでしょう。エンジニアなのに、川口千里ちゃんのプロデュースをしてますからね。
- 木村さんが川口千里さんのプロデュースを手がけられるようになったきっかけは何だったのですか?
木村:ライブを手伝ったのがきっかけだったんですが、そのうちCDも出そうということになり。エンジニアだけでなく、プロデュースもやることになったんです。でもこんなに大きな仕事になるとは思ってもみませんでしたね。彼女のプロデュースをしてなければ、今どき海外でレコーディングすることなんてありませんでしたから。去年なんて、ドイツでアル・シュミットと1週間、一緒に仕事をしましたからね。不思議だなと思いますよ(笑)。
岩崎:これからの時代、音楽家はいろいろなことをやっていかなければならない。ごく一部の人を除いて、音楽家が印税で一生食える時代はもう終わりましたからね。これは音楽家だけでなく、木村さんのようなエンジニアも同じ。いろいろなことに柔軟に対応できる人でないと、音楽業界で生き残っていくのは厳しいと思います。
- テキスト:ICON
岩崎元是
作/編曲家、ボーカリスト。
80年代ジャパニーズ・シティポップ全盛期のアーティスト活動を経て、その後スタジオ・コーラス・ミュージシャン、作/編曲家として多くの作品に参加。J-POP、アニメ、劇伴、ゲーム関連、CM等、幅広い制作に携わり、近年はミキシング、マスタリング等のエンジニアリングも自身で手がける。クリエイトの範囲を益々広げる、自称「歌わぬシンガーソングライター」。
木村正和
1988 年、MIT studio 入社。
1995 年フリーとなり、2015 年株式会社インアンドアウトを設立。
J.popからJazz・Fusion、 映画音楽やドラマの劇伴など、あらゆるジャンルを手がける。近年は現役女子大生ドラマー、川口千里のプロデュースを手掛けるなど、プロデューサーとしても活躍する。