作業する場所は、自分の気持ちをニュートラルに持っていける空間であるかどうかが重要
- SUI さんはここ数年、ミックス/マスタリング・エンジニアとしても活躍されていますね。
そうですね。曲作りには関わらず、純粋にミックス/マスタリングだけという仕事も多いです。でも自分で作った曲に関しては、予算の問題もありますが、できるだけ他のエンジニアさんにお願いするようにしていますね。その方が、「あ、こんな感じになるんだ」という楽しみがあるので(笑)。
- できあがってきたミックスが、自分がイメージしていた音像とは違うということもあるんじゃないですか?
そうなってしまった場合は自分の責任ですね。もちろん修正が利く場合はエンジニアさんとコミュニケーションをとって直すこともありますし、どうしようもない場合はその結果を受け入れるようにしています。そういうことも含めて、(他のエンジニアさんに依頼することを)楽しむようにしているというか。
- エンジニアリングに関しては完全に独学ですか?
はい。仕事をしながらスキルを磨いていった感じです。でも、もう14~15年(ミックス/マスタリングを)やっているんですけど、自分が思うような音が作れるようになったのはここ最近のことですよ。それまでは作品がリリースされるたびに落ち込んでいました(笑)。今も『Mix With The Masters(註:第一線のエンジニアが講師を務めるウェビナー)』を見たりして勉強しています。
- ミックス/マスタリングは、外のスタジオを使わずに自宅スタジオで?
そうです。商業スタジオではなく自宅スタジオで作業すると言うと、予算の問題と思われるかもしれませんが、そうではなくて時間の問題の方が大きいですね。都内だと相手も自分も移動するのに時間がかかります。スケジューリングも含めてロスが大きい。なのでインディーの作品に限らず、メジャーの作品でも自宅スタジオで作業することがほとんどです。スタジオって音響面も重要だと思うんですが、自分が快適に作業できる空間かどうかってことの方が重要だと思っています。自分の気持ちをニュートラルに持っていける空間であるかどうか。
- 自宅スタジオはどんな感じなんですか?
8畳、フローリングの普通の部屋です。そこで作業を始めてしばらくは、いろいろ音響面で試行錯誤したんですよ。でもその結果、何も無くなりました(笑)。だから音響的な工夫は何もしていないんですけど、試行錯誤を経たか経てないかでかなり違うと思っています。
- 機材についても教えてください。
DAWは自作のWindowsマシンで、6コア/3.5GHzのCore i7を積んでいます。作曲やトラックメイクでは、Steinberg Cubase Pro と Ableton Live を使い分けていて、純粋に曲を作ったり他の作家さんと作業をするときは Cubase Pro、個人でビートを作ってアーティストに提供といったケースでは Ableton という感じですね。Cubase Pro を使うことが8割以上なんですけど、Cubase Pro ではやりにくいことを Ableton で補完する感じの使い分けになっています。エフェクト類も優れたものが多いですしね。また、曲全体のアレンジ構築やMIDIの編集スピードが速そうなので、最近あらためて FL Studio を使い始めています。
- Cubase Pro と Ableton の音質差は気になりませんか?
Cubase Pro の方が音はニュートラルだと思うんですが、Skrillex 以降のビート業界では Ableton を使っているアーティストが多いので、あの音質がもう普通になってしまっている。Lady Gaga が出てきたときの Apple Logic Pro と一緒ですね(笑)。ヨーロッパのEDMアーティストやニューヨークのトラップ・プロデューサーの影響で FL Studio も人気があります。実はその FL Studio も出音はひと癖あって、それぞれのDAWだからこそ出せるカッコ良さみたいなものがあると感じてます。だからそんなに気になりません。
- トラックメイクの際、Ableton Push などのパッド・コントローラーは使っていますか?
今はもう鍵盤だけです。そういうコントローラーに興味があって、いろいろ試した時期もあるんですが、最近は曲作りに集中したいと思って鍵盤だけにしました。長い間ローランド A-49 を使っていましたが、今年に入って Native Instruments S-61 Mk2 に買い替えました。Komplete Kontrol 内の "Pre Hear" というプレビュー機能が使えるのが便利なんです。
- ミックス/マスタリングは?
ミックスは基本 Avid Pro Tools で、マスタリングは Steinberg WaveLab Pro ですね。マスタリングに関しては、制作用のDAWと違って音質や使い勝手などをかなり気にしています。対クライアントの業務でもあるため、確実性がとても重要なんです。自分の曲に関しては、トラックメイクが終わった時点でミックスも8割は完了しているので、バランスや音質の面で伸び悩みますね。デモの方が良かったみたいなことがたまにある(笑)。だから他のエンジニアさんに自分とは違った解釈をお願いしているんです。
Pro Tools | HDX の使用をやめたことを機に、UAD-2 OCTO を導入
- SUI さんは UAD-2 OCTO のユーザーとのことですが、UAD プラグインはいつ頃から使い始めたのですか?
割と歴は浅くて、2年半くらい前からです。それまではミックスのときはDSPベースの Pro Tools | HDX システムを使っていたんですが、ネイティブの Pro Tools に移行したらパワー不足を感じて手を出したという感じですね。ずっとプラグインの音質にも興味がありましたし、そろそろ使ってみようかなと。
- 具体的にはどのプラグインに興味があったのですか?
個人的にはヴィンテージのアウトボードとかにはまったく興味は無いんですけど、『Mix With The Masters』を見ていると、エンジニアが機材自慢を含めていろいろなアウトボードを紹介するわけですよ。それによって、「あ、あの曲ってこのアウトボードを使っているんだ」という発見があるんです。しかし良い状態のヴィンテージを手に入れるにはそれなりの見識が必要になりますし、メンテナンスにも人脈と手間がかかります。UAD であればそこをクリアした上で再現性の高いプラグインが手に入る。そういった観点から 1176 Rev.E や SSL のチャンネル・ストリップ、Fairchild といったプラグインに興味があったんです。
- UAD-2 OCTO を手に入れて、そのサウンドはいかがでしたか?
すべてのプラグインが2週間試せたので、どれを買おうか使い倒したんですけど、もう感覚的に「あ、やっぱりいいじゃん」って思いました。どのプラグインも音に芯があるんです。同じようなヴィンテージ・シミュレーションものですと Waves が定番ですけど、どちらが実機に近いかは置いておいて、UAD プラグインの方が存在感や空気感が優っている感じがしました。特にダイナミクス系のプラグインや、マスタリングEQでその印象が強かったですね。でも音に存在感があれば絶対的に良いというものでもなくて、ミックスの中では Waves の方が収まりが良かったりもする。だからどちらも良さがあると思っています。
- 2週間使い倒して、最初に購入したプラグインについて教えてください。
API Vision Channel Strip と Brainworx bx_digital 、Millennia NSEQ-2 EQ などですね。Millennia NSEQ-2 EQ なんて実機は60万円ほどするアウトボードですから、「それが3万円?」とすぐに飛びつきましたよ(笑)。あとは FATSO Jr./Sr. Tape Sim. & Compressor も商業スタジオでミックスをしたときに使ったことがあり、いい仕事をしてくれてたのですぐに買いました。FATSO Jr. でキックとベースをまとめると、ローエンドが引き締まって、音をいい感じに詰めてくれるんですよ。それがDSPパワーが許す限りいくつでも使えるというのは最高ですよね。
- UAD-2 OCTO をお使いとのことですが、パワー的には十分ですか?
いや、ミックスのときは90%以上になってしまうので、もう1枚欲しいと思っています。あとはモバイルのときに UAD が使えないのが不便なので、Satellite を買おうかなと思っていますね。
- UAD に起因するトラブルなどはありませんか?
トラブルはゼロです。レーテンシーの問題も感じたことはありません。驚きなのはチップの使用率が97%くらいになっていても非常に安定していることです。さすがの専用設計で、通常のPCではあり得ない感覚かと(笑)。
- お気に入りのプラグインについて教えてください。
たくさんありますけど、最近は SSL 4000 E Channel Strip がお気に入りですね。クオリティが高いだけあって動作は激重なんですけど(笑)、なかなかカッコいい音がするんです。同じく SSL の G Bus Compressor が何個でも使えるというのは、UAD ならではですよね。バス・コンプレッサーに関しては、API 2500 Bus Compressor もすばらしいプラグインで、マスター・チャンネルやドラム・バスによく挿しています。低域が引き締まりながら重心がグッと下がるのがいいんです。SSL のバス・コンプレッサーとの使い分けは、SSL の方は正しい使い方をすると理由なくカッコよくなる(笑)のでアレンジやミックスの仕上げに、API 2500 はヒップホップとか低域をまとめたいときに使う感じですね。あとは Studer A800 Multichannel Tape Recorder 、Ampex ATR-102 Mastering Tape Recorder 、Empirical Labs EL8 Distressor 、Thermionic Culture Vulture が気に入っています。EL8 Distressor はボーカルに、Culture Vulture はドラムによく使ってますね。
- まだ持っていなくて、気になっているプラグインというと?
Antares Auto-Tune Realtime ですかね。Auto-Tune はネイティブだとかけ録りで使えませんが、UAD プラグインなら Pro Tools | HDX システムのようにかけ録りできる。これは大きいですね。その他、OTO BISCUIT 8-bit Effects も制作で使ってみたいと思っていますし、最新の Helios Type 69 Preamp and EQ Collection も期待値は高いです。
- Unison に関して興味はありますか?
あまり興味は無かったんですけど、昨年セミナーをやらせていただいて、そこで初めて使ったんです。バンドのレコーディングで使ったんですけど、ものすごく良くて。それでこれは欲しいなと思いましたね。音が良いのもそうですが、Neve のHAで何チャンネルでも録れるというのがすごい。バンドのレコーディングを頻繁に行う人にはおすすめの機能だと思います。最近はレコーディング・ブースとして使えるリハーサル・スタジオも増えていますが、そういったところにはぜひ Apollo を標準機材として導入してほしいですね。
プラグインを上手く使うコツは、変化の幅を常に把握すること
- 最近は96kHzでのレコーディング/ミックスも当たり前になってきましたが、そのあたり SUI さんはいかがですか?
ぼくは基本48kHzです。もちろん96kHzで作業することもありますし、音的には間違いなくそっちの方が良いと思っているんですが、ファイルのハンドリングのことを考えるとまだ48kHzですね。仕事をする上では、音質だけでなく、作業をいかに迅速にこなせるかということも重要だと思っているので。
- ミックス仕事を受ける際、アーティスト・サイドにリクエストすることはありますか? 例えば、ファイル書き出し時のマナーなど・・・。
特に何も言いません。「プラグインはすべて外して、ドライで書き出しました」というアーティストもいるんですけど、そういうエフェクトもアーティストの個性だと思っているので、「プラグインはそのままでOKです」と伝えてますね。
- ミックスを始めるときに必ずやることはありますか?
最初にアーティストが自分で作ったラフ・ミックスを必ず聴きます。それによって、「ここはこうした方がいいな」という気づきが必ずあるので、印象とか細かい問題点などをメモする。そしてそのラフ・ミックスを再現するところから始めるといった流れです。アーティスト・サイドからは、イメージに近い音源をリファレンスとして貰うことも多いですね。
実作業でまず手をつけるのは、トラックのキーとなる音とボーカルの2つです。キーとなる音は、ヒップホップでしたらキックとベースの絡みだったり、EDMでしたら空間処理も含めたドロップの作りこみ方だったり、いろいろですね。
- ドラムによく使うプラグインがあれば教えてください。
キックとスネアの各チャンネルには、1176 Classic Limiter を使うことが多いですね。キックの場合はアタックもリリースも速めで、大体10時の方向という定番の使い方ですよね。レシオはスネアだったら4:1、キックだったら8:1。そしてバスでは、API 2500 を使って音をまとめて、その後段ではStuder A800 か Culture Vulture を使います。Studer A800 はEQ的な使い方で、あれをインサートすることによって低域がすごく出るんですよ。一方、Culture Vulture では音を少し汚して目立たせるというか。
- ベースには?
ベースも 1176 Classic Limiter を使うことが多くて、アンプ・シミュレーターは Ampeg SVT-VR Bass Amplifier が好きで愛用しています。
- ボーカルにはどのようなプラグインを使いますか?
ボーカル・バスで使うのは、Teletronix LA-2A Classic Leveler 、Empirical Labs EL8 Distressor、それくらいですね。
- マスター・トラックで使うプラグインについても教えてください。
マスター・トラックでは API 2500 と SSL 4000 G Bus Compressor を使うことが多いですね。曲調によって使い分けますが API 2500 はマスタリングでも使うので、制作やミックスの仕上げでは SSL の方が多くなってきています。もちろん、iZotope Ozone や A.O.M. Audio Invisible Limiter G2、FabFilter Pro-L2 といった UAD 以外のプラグインも使います。
- ご自身でマスタリングを行うことが決まっている場合、ミックスでの処理は違ってきますか?
いや、ミックスとマスタリングは完全に分けています。ですので特に変わらないですね。マスタリングでも UAD プラグインは活躍していて、Millennia NSEQ-2 EQ や Dangerous BAX EQ 、bx_digital といったところをよく使いますね。これは同時に使用するわけではなく、曲調によって使い分けている感じです。芳醇な曲では Millennia NSEQ-2 EQ を使ったり・・・シャンプーを使い分ける感じで(笑)。
- 最後にプラグインを上手く使いこなすコツがあれば教えてください。
セミナーとかでもよく言うことなんですが、頻繁にオン/オフを切り替えて変化の幅を把握するようにした方がいいですね。プラグインのコンプレッサーってズルくて、かけた途端に音量が上がるものが多いんですよ。でも人間って音量が上がると、それだけで音が良くなったように感じてしまうものなんです。そのプラグインをインサートすることによってどんな変化が起きているのか、常に把握することが重要ですね。
- 写真:八島崇
- テキスト:ICON
SUI
作家/トラックメイカー/エンジニア。ヒップホップ、R&B、EDMのトラックメイク・制作手法に精通し、作曲からアレンジ、ミキシング、マスタリングまで幅広く手掛ける。EXILE ATSUSHI、EXILE SHOKICHI、三浦大知をはじめとするダンス系から、Nissy (西島隆弘)、ももいろクローバーZ、リリカルスクールなどのポップ系、アイドルまでアーティストへの楽曲提供は多岐に渡る。また DJ MURO、DJ HAZIME などヒップホップ系プロデューサーとの共同制作で手腕をふるう。近年テレビドラマやアニメ劇伴、CM音楽へも進出。機材誌での連載執筆、各種セミナーやブログを通じてDAW、音楽制作に関する情報を幅広く提供している。