Rupert Neve AES lecturer

Neve Interview no.1

London England, 2007

Rupert Neve: ここにおられる皆さんで、私より年をとってる人はいないようだね(笑)。昨年で80歳になった。おかげさまで心も体も健康。まだまだ行ける感じだよ。オーディオ関連の仕事があるおかげで、まだまだやりたいことがあるんだ。米国テキサスで昨年、小さな会社を始めたばかりなんだが、既に小さいを通り越して、大きい会社になった。製品は信じられるかどうか分からないけど、中国で売れているんだ。ハイクオリティオーディオの分野で、とても大きな市場があるんだ。9人がテキサスのウィンバリー"Winberly" という町で働いている。丘が多くて、湖や川が自然豊かな場所でね、コミュニティとしても、よい近所付き合いができている。そこで工場生産しているわけではなくて、設計オフィスがあるんだ。便利で住みやすい場所だから、とても楽しんでいるよ。

今日は、オーディオ業界として何ができるか、業界は何処に向かっているのかということについて話したいと思う。原点に立ち返ってみると、音を計測することと、それを耳を使って実際に聞くこととの間に、いつの時代も大きな溝があるんだ。これについては、皆も同意してくれると思うけど、計測によって算出された数値は必ずしも、実際に聞こえる音質を反映していないという問題さ。電子デザインの分野、特にコンピューターや通信の分野では、通信速度や数値がパフォーマンスに多大な影響を与える。この分野では投資した分だけ回収できるわけだ。ところが、プロオーディオに関する限り、提示されたスペックは必ずしも音のクオリティを保証しないということに問題がある。こうなるとオーディオ雑誌やリビュワーによる主観的な感想に頼らなければならないのが現状だ。例えばハイファイ専門誌なんかを読むと、時々涙が出るくらい笑える記事がある。
オーディオはアート(芸術)の一形態であると思う。これはスペックや数値で測れるものではなく、クリエイティブで癖になるものだし、同時に充足感をもたらしてくれるものでもある。例えば、ここにおられる方々は皆、ここまで来て、お金を貰えるわけではないですよね(笑)。設計者にとっては、事実止むに止まれぬことでもあるんだ。このような思いは決して新しいものではなく、100年以上前には科学者達にとって、新しい科学技術の発展、人々の生活に変化をもたらす発明を求めた。新しい科学技術に対する人々の興味は驚くほどだった。1877年、英国の物理学者・レイリー卿(1842~1919)が、音響に関する一連の著作を記し、「音響について知るには、耳が最終的な手段である」とし、「直接的であれ、または間接的であれ、音に関する問題はすべて、耳という器官を通じて論じられる必要がある。それ以外の議論はすべて無駄である」と記している。英国の物理学者・ケルヴィン卿(1824~1907)は、「測定こそ、知るための手段」とし、「物理科学の分野において、それがいかなる分野であれ、学びの最初の一歩は、計測方法と実践的な実験方法の原則を見つけることが大切」と記している。人が何かについて計測でき、その数値を示すことができるのであれば、その人間はその事柄について何らかの知識があると言える。計測出来ず、数値も提示できないとなれば、その人の知識は貧弱で信頼するに足らないと判断されるだろう。学びの途中だと言い張ることはできても、科学の分野における知識はほとんどないと言っていい。

現代に至ってなお、実際に聞くこと、および測定することについて言えること。それは、どれほど素晴らしい回路デザインを編み出したとしても、必ずしもその回路デザインが最高の音を作り出すわけではないということ。これはボクの経験から出てきていることでもあってね、言ってる意味は分かるね?現代科学では、ケルヴィン卿が想像すらつかないほどの深みまで計測できるようになった。だが完璧には程遠い。何度も言うようだが、数値自体が音質の素晴らしさを保証するものではない。さらにスピーカーから一旦音が出た後は、その音声信号に対する制御はほとんど不可能ということ。これは、ルームアコースティックの分野に踏み込むことになる。ラージスピーカーは相対的に、部屋の特定の場所でいい音がしていても、別の場所ではそれほどでもないという事例が多々ある。ここでも、機材や測定された数値によってのみ、音質を定義づけることは不可能であると言えるんだ。

Neve Interview no.2

自分の人生を振り返ってみて、いつ音響デザインに夢中になったか。子供の頃、家族はブエノスアイレスに住んでいた。父はアルゼンチンにある英国聖書教会の事務官で、ボクは子供の頃、17年間、南米で過ごしたんだ。YMCAのキャンプでは、よくウルグアイに行っていたのを思い出す。とても美しい場所だった。キャンプ地は、白い砂浜と松の木林に囲まれた、大西洋に面した場所にあった。ある日の午後、そこでクラシックのピアノリサイタルが行われたんだ。演奏者は若い女の子で、ボクは直ぐに恋に落ちたわけだけど、その時初めて、ピアノは賛美歌を演奏するためのものではなく、「音楽」を奏でる楽器なのだと気づいたんだ(笑)。
その頃、父はボクに短波ラジオの組み立てキットを買ってくれた。そこでは、Voice of America (VOA) や BBC などの海外放送を聞くことが出来たし、S/N 比が 4 dB くらいの声でね、「こちらロンドン…」なんてやっていたわけだ。父は VOA やニュースなどの情報番組が好きで、ボクは音楽をもっといい音で聞くことに興味があった。第二次世界大戦後、兵役を退いた後に、World Signals という会社に入社したんだけど、サウンドレコーディングに関しては大きな壁にぶつかっていた。今考えれば、その経験はとてもよかったと思っている。例えば、ボクと同僚はコーンウォール辺りで、ブラスバンドや合唱団、アマチュアオペラ合唱団なんか録音していたんだが、当時は本格的なマイクがなかった。当時ボクらが使ってたのは、ボールアンドビスケットマイクと呼ばれてた代物(左写真)で、これは戦時中、飛行機の位置を特定するために使われていたものなんだ。複数のホーンを設置して、敵機の場所を特定するんだが、レーダーが発明される前の時代は、こんなものを使っていた。戦争も後期になると必要がなくなったので、ボクらはこのマイクを買い取ったんだ。一つ当たり、10シリングくらいだったと思う。ボクらが録音に使ったのは、このマイクだった。悪くないマイクだったよ。

コーンウォールコンサートホールでの録音の時、こんなことがあった。演奏が始める30分前のこと、お客さんが入った後で気づいた。このホールの電源は220 VDC だったんだ。幸い、ボクらは発電機を二つ持ってた。24 V ~ 230 V, 50 Hz のやつさ。 録音の少し前に購入していたんだ。そいつをヴァンの中で組み立てたんだけど、あの時ほど素早く組み立てたことはなかったね(苦笑)。こいつは複数のディスクテープレコーダーを駆動していた。78 rpm で廻る、ラッカー塗装の円盤に直接カットするタイプのものだ。なんとか30分ほどで準備完了。さて通りを隔てた場所に街の映画館があって、電源はそこから引っ張ってくることにした。それが唯一の電源ソースで、単気筒のガソリンエンジンで発電していた。DC(直流)電源だったけど、それを使って夜中、すべての明かりを灯していたんだ。ただ「ドスン、ドスン…」って具合に夜中ずっとエンジンの音が聞こえてきた。ハイパスフィルターが開発される前の時代のことさ(笑)。

別の録音では、メソジスト教会で 300人のコーラスパフォーマンスを78 rpm テープレコーディングした時だ。観客は200人。足を踏み入れた瞬間、デッドな空間だということがすぐに分かったが、とても楽しい体験だった。

この他にも、政治集会の PA 業務で、ウィンストンチャーチル首相が演説して、BBC が世界中にライブ放送するという催しがあった。BBC は自身の機材をセットアップして、演説はバルコニーから行う。35000人の観客を見込んでた。ボクらはヴァンに乗って、9つの PA システムをパーク内の色々な場所にセットアップしてた。個々の場所で別々のショーがあってね、そのためさ。主催者は電話を貸してくれたんだが、ケーブルをそれぞれのロケーションに引っ張ったもんだから、至る所ケーブルだらけになってた。ボクらはそれをたった二人でやってのけた(笑)。よくやったもんだよ。また、その日はあいにくの雨でね。7月15日、聖スウィンジの日。まったくひどい雨だった。人も公園も泥まみれになったよ。でも愛国的な人々が何千人も集まった。チャーチル首相が登場する直前にアナウンスがあって、彼はバルコニーで話すのではなく、大テントで話すって言うんだ。その大テントにはボクらの PA システムも設置してあった。電話もね。ただ、人が多すぎて近くに行ける雰囲気じゃなかった。BBC もそのテントに放送用の機材を持ち込んでいたんだが、人が一度に押し寄せたもんだから、テントも、BBC の機材も押し倒されて、泥に埋まってしまった。パニックに陥った BBC のエンジニアから電話があって「ライブシステムを持っているか?」と尋ねてきた。持ってますと応えて、ボクらはすぐに機材のセットアップに向かった。そして、チャーチル首相が到着する直前にセットアップを完了した。彼がテントにやってきた時、ボクはつま先から頭まで泥だらけで、息も上がってた。彼は上から下までボクを眺めて言った。「そこの若いの。君が責任者かい?」(笑)。その頃はボクも若かったからね。「はい。準備は完璧です!」「そりゃ、いい。では、どうすればいいか教えてくれるかね?」。で、ボクが首相に、どうすればいいか教えたんだ(笑)。「大きな声で話さなけりゃならんかね?」「いいえ、いつもどおりにお話しください」なんて少しの時間、彼と会話を交わしたよ。その夜、ボクはラジオで彼の声を聞いた。あのちっぽけなマイクで録った音が世界中で放送されたんだ。ワイルドだろ~?

Neve Interview no.3

その何年か後、確かイースターだったと記憶しているが、ケンブリッジ大学キングズカレッジのチャペルの音響システムの強化を依頼された。その時、マイクもスピーカーも客席から見えないようにできないかという注文を出された。そんなことは土台無理ですと答えると、相手は「してやったり!」みたいな顔をしていてね。で、ボク達は音質的に透明感のある黒色ナイロン素材と、石細工やナラの無垢材にマッチするような暗い色合いの素材を使ったラウドスピーカーを作って搬入したんだけど、これがうまい具合にカモフラージュされてね、意外とうまくいくかもしれないと思った。次の日、建築家と司祭、そして学長が様子を見に来た。学長が「ラウドスピーカーはどこに置いたのかね?」と聞くもんだから、「ご自身が今、2~3㍍のところに立っておられますよ」と答えた。「何も見当たらないようだが?」と言うので、「えっと、そういう条件だったのでは?」と答えたんだ(笑)。

さて、思い出話はこれくらいにして、「音の楽しさを個人宅で実現すること」について少し話そうと思う。音楽を単純に聴くだけでなく、ホールアンビエンス全体を個人の家庭で再現することができないか。小さなジャズクラブ、大規模なコンサートホール、ステージショーなど、いかにして音楽を含めた雰囲気全体を楽しむことができるか。この課題について考えてみよう。サラウンドシステムの問題点は、所謂「スイートスポット」と呼ばれるものだ。個人宅では、大金を注ぎ込んでサラウンドシステムを導入する。で、家の主人は友人をたくさん招いて、自分の周りに座らせ、これを聞かせるわけだ。主人は得意げに「どうだ?」と尋ねる。部屋の中央に陣取る主人とその近くに居る人達は、小さなアンビエンスや空気感を感じ取ることができるんだけど、それ以外の人達は「こっちのスピーカーから肩越しに音が聞こえた」とか「後ろから聞こえた」とか答えるだけで、雰囲気や空気感を捉えたとは言い難い。

こうした事柄は、今後も技術的な課題となるだろう。実際技術だけではどうにもならない部分でもあってね、解像度、音楽、空気感など、すべての要素が関わってくる。このようなことを一般的な家庭で実現するにはどうすればいいのか。それも、数多のスピーカーを使わずにだ。誰も部屋の家具をどけたり、壁に穴を開けたり、装飾を変えたりしたくないからね。過去にはこうした過ちがまかり通っていた。何人の人が覚えているか分からないけど、昔「クォンタフォニックサウンド」というシステムがあった。米国のとあるバーでシステムを導入したばかりのマスターが、ボクを招いて聞かせてくれたことがあった。そしてよくあるスイッチボックスを手渡して言うんだ。「あなたは英国人だから英国の音楽をかけてやろう」と。で、ボクがフロントスピーカーのみで聞いていたら、彼は少し不機嫌になった。「後ろのスピーカー、使ってないじゃないか」とね。ボクは「前の2本だけで十分さ。ステレオの定位もいいし」と答えた。基本、音楽は前方から聴きたいものだ。サラウンドで聞く意図を持って録音されたわけでもないし。結局このシステムは失敗に終わった。一般的な家庭の主婦は、スピーカーがたくさん部屋に転がっていること自体、ストレスに感じるんだ。このことは技術者として、しっかり心に留めておかなくてはならない。

第二次世界大戦後まもなく、夢を見たことがあってね。それは一般的な家庭の絵柄だった。プロジェクターでオーケストラ演奏者の映像が映し出されるんだが、それはスクリーン上にではなく、3Dフォノグラムで映し出されるんだ。で、ボクがその演奏者のイメージの間を動き回ると、まるで本物の演奏家がそこにいるように、音の聞こえ方やバランスまで変化する。で、自分の定位置に戻ると、コントロールボックスがあって、自分で音量やらバランスを調整できるんだ。もちろん、夢の中で、だよ。でもいつか、こうしたことが現実にできるようになると信じている。先は長いだろうがね。これを聞いてる人達は、老人が夢のようなことを語ってると思うのだろうが、夢なしにボク達はどこへ行けるだろう?夢も幻もなければ、それが実現されることもないと思うんだ。

ギルバート・ブリッグス "Gilbert Briggs" という人をご存じだろうか。彼がいかにしてハイファイ用のラウドスピーカー業界にのめり込んでいったか知っている人は少ない。彼は元々、演奏家だったんだ。彼の父は小さなネル布工場を営んでいた。ただ業績は悪化し、新しい市場を探し求めていたんだ。布の余りを切り取ってスピーカーコーンの周辺に貼り付けたら、スピーカーの音質が大幅に改善された。音の吸収作用に関する起源がここにあった。演奏家として、音が良くなったと感じた。文字通り、彼は幻を見る男だったのさ。偉大な人物だ。彼の抱いていた概念とは、音を出来る限りリアルに出すことだった。

ここにラウドスピーカーが一つあったとしよう。それはあたかも、コンサートホールの外にいて、小さな穴から音が聞こえてくるような感覚だ。つまり演奏家の奏でる音楽はもちろん、ホールの中の物音までもがその穴を通して聞こえてくる。満足できる音とは言い難いが、聞くに堪えないほどでもない。しっかりとアンビエンスは伝わってくる。小さな穴の代わりに大きな窓があったなら、もっといいかもしれない。全体的な音像や深さ、音が聞こえてくる方向まで分かるかもしれない。さて、この場合、理想的には、演奏家と聴き手の間の壁を取り去ってしまい、ホールの中で直接音を聞くのがベストだ。実践的とは言えないが、概念として、その理想の実現を目的にしてこそ、価値があると信じている。

そしてその時代、夢でしかなかった高音質システムが今、現実になってきている。これはすべて、モノラルという範疇に限られる。サラウンドではない。こうした旧式のシステムに思いを馳せると、時々ノスタルジックな気分に浸れるんだ。モノラルのみで勝負して、どこまで追求できるかを競った時代さ。今聞いてもいい音だと思う。

こうした偉大な人達の講演を聴いたり、直接電話したり、実際に彼らを訪ねたこともある。ボクは馬鹿みたいな質問を繰り返してたね。でもそうすることで、オーディオ技術に関する基本的なことを学んだと思う。いまだに彼らの本を読んだりもする。ピーターバクセンドール、ブライアン・サベージ、D.T.ウィリアムソン、ジェイムス・モイル、ジョン・リンズリー・フッド、マイケル・ゲイフォード、みんないなくなってしまった。悲しい話さ。そして忘れてはいけないのが、ジェフ・ワッツ。本当の意味で同僚と呼べる、40年来の親友さ。彼も2年前に亡くなった。彼の助けと洗練されたアプローチがなかったら、ボクの回路は決して日の目を見ることもなかったと思う。

Neve Interview no.4

「音を聴く」という事柄を感情的な側面から考えてみよう。如何にして、聴き手の楽しみを最大限引き出すことができるか?技術者として何に集中し、何処に努力を注ぐべきか。深く掘り下げなければならない。我々聴き手の感覚がどのように反応するか、聴くという感覚は、意識的に、あるいは無意識に、どのように作用するのか、こういった点に着目する必要がある。 1977年、ジェフ・エメリックという録音技師がいてね、ジョージ・マーティン(ビートルズのプロデューサー)と共に多くの仕事をこなしていた。ある日彼は、新しいコンソールの二つのチャンネルについて、同一音源なのに出音が違うと言い出した。彼は、その違いをうまく表現出来なかった。元々言葉の上手い人ではなかったからね。一緒に居た人々は、彼が何を感じ、聞き取ったのか、何とか引っ張り出そうとしていた。彼はとても居心地が悪そうだった。そのうえ皆に分かってもらえず、気分を害されたような顔をしていた。確かに彼は何かを感じ、聞き取っていたんだけど、一緒にいた他の人達はそれを感じ取ることが出来なかったんだ。後々現場にいた人達はボクに電話をかけてきて「ジェフはいかれてる」と言い出す始末さ。勿論、彼は頭がおかしくなったわけじゃない。彼のことはよく知っている。彼がシロだと言ったらシロなんだ。ボクがやるべきことは、何が彼の気分を害しているのか見つけ出すことだった。
ボク達は、A/B テストをやったり、他のチャンネルを使って聴いてみたり、色々試した結果、ボク自身もごく微妙な違いを聞き取ることができるようになってきた。で、測定してみようということになった。コンソール全48チャンネルのうち、3つのチャンネルで正しく終端 "Terminate" されていないことが判明した。これら3つのチャンネルでは、54 kHz で + 3 dB レベルが上昇していたんだ。ジェフはこの違いに気づいた。最終的にはボクも違いが分かるようになった。だが重要なのは自分が分かったという事実ではなく、ジェフが結果に満足できず、イライラしていたし、気分を害していたという事実だ。つまりこれはジェフに、感情的な影響を及ぼしていたんだ。

音が感情に及ぼす影響…この事実を突き止めたくて、ボクは幾つか実験してみることにした。倍音を豊富に含んだ矩形波を使った実験だ。例えば、3 KHz の基本周波数(倍音列の一番低い音)信号を鳴らすと、3 kHz, 9 KHz ... の音が聞こえることになる。基本周波数を上げていくと、それより高い周波数の倍音は、ある時点で聞こえなくなる。人間の聞こえる、可聴帯域(20 Hz~20 kHz)を超えてしまうためだ。こうした実験は、個々の事実上の可聴帯域を測定する、よい手段なんだ。
ボクはこの種の実験を、世界中を歩き回って、多くの技術者達と実験をやってみた。場合によっては学生だったり、オーディオ技術学会のミーティングだったりしたがね。日本でも実験したことがある。そして驚いたことに、多くの実験において、参加者中約 60 % の人間が、プレゼンス、つまり 60 kHz 付近の音が聞こえることが判明した。人間には聞こえないはずの帯域だ。勿論これは科学的な実験ではないことは分かっている。ところが、サイン波と矩形波を切り替えても、事実彼らは違いを聞き取ることができたんだ。 この後、多くの人達によって、これに関連した種々の実験が行われるようになった。ボクの音響的見地から言わせてもらうと、サウンドデザインは、100 KHz 付近までクリーンな音を維持すべきと考える。その辺りまで音が伸びていると、そのサウンドは温かく濃密で、スイートに感じられるんだ。理由は分からない。さらに音の入り口でハイクオリティな音を確保できれば、つまり高品位のマイクやプリアンプを正しいセッティングで使い、良い音を取り込むことができれば、そのサウンドの完成度は最終的なメディア、つまり録音媒体に至るまで保たれる。例えそれがデジタルメディアであっても、だ。音の入り口は、それほど大切な部分なんだ。

テキサスでオースティンのラジオ音楽番組を何気なく聴いていた時のこと。ラジオから流れてくる音について、いい音だなと感じた。で、ボリュームを上げて聞くと「確かに。これはいい。…待てよ、これはすごいいい音じゃないか」と思った。ようく聞いてみると、その放送は CBC モントリオールのスタジオ1から転送された音であることが分かった。この2, 3 週間ほど前、ボクが回路デザインした Amek コンソールが一つ、CBC カナダに売れたんだ。ホントの話だよ。カナダで売れたコンソールの音を、テキサスで聞いたんだ(笑)。

他の人々の手によって、色々なことが明らかになってきた。1991年10月のオーディオ技術学会 (AES) 東京の大橋教授のレポートによると、「可聴帯域が脳の電気的活動、および音の認知能力に及ぼす影響」というテーマで実験を行っている。その論文によると、人間の可聴帯域を超えた帯域にまでサウンドを拡張することで、音質面の向上、および脳内の楽しみや喜びを感じる部位で脳の電気的活動が活発になると報告している。脳の電気的活動…興味ある言葉だ。ボクは実際に東京の大橋教授に会いに行った。彼は興味深い一連の実験を見せてくれたんだ。特定の音楽を、様々な再生システムを使って実際に視聴、比較するんだ。例えば、一つはフィルターをかませて特定の周波数帯域をカットしたもの、或るものは20 kHz まででばっさり切ったもの、60 kHz まで伸ばしたもの、そして100 kHz まで拡張したワイドバンドシステムもあった。ボクも実際に聴かせてもらったよ。センサーを頭全体に取り付けるんだけど、髪の毛がないから簡単だったと思う(笑)。ご想像のとおり、ワイドバンドシステムで聴いた時は、リラックスした状態で楽しみながら聴くことができた。特に A/B テストをすると、その違いが歴然とする。ところが、周波数帯域をカットし始めると、何となく落ち着かない感覚に陥った。 実はテストの間中、日本人の学者達はコントロールルームから、ボクの様子を見守っていた。ボクは皆の注目の的となっていて、スイッチボックスで最良の音を選択するポジションにいた。ボクは音の専門家としてそこにいたから、皆注目していたわけだ。内心、笑いのネタになってしまうぞと気が気じゃなかったんだが、実際はすぐに分かった。ボクはリラックスした状態で、どの音が一番いいか選択できた。コントロールルームの皆は興奮して飛び上がっていたよ。ボクが正しい選択をしたからだ。ま、ただの偶然かもしれないんだが(笑)。 実際こうした事柄に関しては諸説あって、どれが正しいとは判断がつかない。ただ、ボクが言えることは、可聴帯域外にある微弱な倍音は極端に小さなレベルなんだけど、音を構成するうえで欠かすことのできない周波数範囲であることは確かなんだ。特に聴き手に喜びをもたらす範疇においてね。

実際、人間の脳は、電気的に音を取捨選択する機能を持ち合わせている。そういう意味では、人間そのものが測定機械なんだ。例えば、仕事に疲れて帰ってくる男がいたとする。彼は家に帰ると、好きなCDを引っ張り出してきて、音楽を聴き始める。ところがすぐにイライラして怒り始める。そこに在るべき周波数帯域がカットされているうえ、切り刻まれて作った音だからだ。つまり彼の脳内の欲求不満を助長する部位が電気的活動によって刺激されたのだ。今巷に溢れる多くの社会問題が、CDの聴き過ぎによるものでないことを祈るばかりだ。もしCDが原因だとすれば、MP3はもっとひどいことになる。この件について誰かリサーチしてくれないかなあ(笑)。 周波数帯域をしっかりと確保することも大切だが、ダイナミックレンジにおいても、同様のことが言える。「健全な振幅 "Amplitude Integrity"」とでも呼ぼうか。ボクのように静かな環境を愛する人間にとっては、夜遅くに犬の遠吠えしか聞こえないテキサス州のような場所では、誰かが玄関先に近づいてくると、彼が手にしているステッキの音だけで驚くほどの情報を知り得る。ステッキの種類、大きさ、彼が今どの辺りを歩いているか、背の高さに至るまで、音を聴くだけで感知できる。ちょっと考えてみてくれ。人間にはこれだけの感知能力が備わっているんだ。この分野の研究が進めば、音を作る際にも適用できる。如何にして聴き手を満足させられるか、聴き手に欲求不満ではなく喜びをもたらすことができるか。そういったことを追求できるようになる。

Neve Interview no.5

良い音の敵とは、明らかに「歪み」だ。歪みを生み出す仕組みは多種多様で、中でもやっかいなのはクロスオーバーディストーションだ。これは音楽自体の高次倍音が生み出す歪みなのだが、これよりやっかいなのが「スイッチング過渡 "Switching Transients"」だ。これは音楽自体から生み出される倍音ではなく、グチャッと潰れるような衝撃音で回路のオンオフによって引き起こされる。この歪みはランダムで広範囲にわたって発生する。周波数帯域が広いほど、多くの歪みが発生するわけだ。

例えばクロスオーバーディストーションが回路の入り口付近で発生すると、それは回路全般に様々な悪影響を及ぼすことになる。初期のアンプデザインはプッシュプル方式は採用していない。こうした歪みの悪影響を考慮し、影響を極限に抑えたクラスA回路デザインでさえ、一定のクロスオーバーディストーションは避けられない。初期の頃、つまり1960年代に設計したシングルエンド方式のアンプに関しては、本当に神の導きがあったと信じている。それらはプッシュプル方式ではなかったが、結構いい音を出していた。勿論、今となってはその頃のアンプの短所もよく理解できる。ノイズは多かったし、再生周波数帯域にも制限があった。でも、この頃のアンプは、高周波帯域におけるクロスオーバーディストーションやスイッチング過渡の問題は皆無だったのさ。だからこそ人気があった。今現在、設計されている製品もすべてシングルエンド方式を採用している。これらの製品においては、広域の周波数レスポンスを確保しつつも、クロスオーバーディストーションやスイッチング過渡、相互変調歪みなどの問題は解決済みというわけだ。実際、初期の Neve コンソールにおける対応周波数帯域は、最高 200 kHz まで伸びていた。今考えれば、そこまでの周波数は必要ないんだけど、当時は最高クラスだった。リスニングテストを繰り返した結果、どれくらいの周波数レスポンスを確保できればよいかの目安も分かってきた。ボク達は、100 kHz ぐらいから 2 ,3 dB 単位で緩やかにロールオフする形がベストだという結論に達したんだ。そうすれば、スルーレートの問題も回避できる。今に至ってやっと、広域の周波数レスポンスを確保しつつ、種々の問題を解決するソリューションに行き着き、製品開発に臨めるようになってきたんだ。

回路設計者は、数多ある回路デザインの中から自分の考えるベストなソリューションを採用する。言い換えれば、すべての設計者は自分の心を回路に組み込んでいるとも言えるんだ。そこにはコンセプト(概念)があり、自分の考える「完璧なアンプ」がある。完璧なアンプは、自分の考える完璧なサウンドを作り出す。ディスクリート方式、IC 方式、無酸素銅線、トランスなど、種々の主張や議論が入り込む余地があるとするなら、まさにこの領域なのさ。設計者は、現時点で採用可能な数多の選択肢と回路の組み合わせの中から、最良と思えるものを選び出す。その選択と採用方法にこそ、設計者の特質が顕れる。これは芸術家が、画材やブラシなど、自分の表現に合った絵画手法を選び出すことと似ている。そうすることで、彼のスタイルが確立する。回路設計者もまったく同じで、特定のパーツ選択、回路デザインを採用することで、作り出された芸術が聴き手に喜びをもたらすことになる。勿論、設計者の中には質より量を求める者もいる。でも一日の終わりには必ず、聞く作業を繰り返すことになる。ボクも自身に課していることだが、自分が設計した回路デザインに満足できたら、とりあえず測定する。そして結果に満足できれば、膨大な時間をリスニングテストに費やすことになる。多くの才能ある若いエンジニアと働いてきたが、彼らも同じ行程を繰り返し、繰り返し行うことになる。時には一番最初の段階、つまり設計図にまで戻らなければならない時もある。これは探検にも似ていて、未知の世界に足を踏み入れる出来事なんだ。アナログオーディオデザイナーにとって大きなチャレンジの場でもある。ただの回路デザインというよりは、音そのものに関する領域なのさ。

これは前述の「夢」に関する領域でもあって、そのままの空気感を作り出すこと、聴き手に納得させるだけの力を持ったイメージング、脳が感知できるレベルのヴァーチャルなリアリティ。そういう意味では録音の段階でそのレベルを実現している必要がある。ここで自身の製品の宣伝するのは本意ではないが、事実ボクらが設計したモジュールの一つは、ソロ奏者の位置を特定できるだけのステレオ定位を確保している。その原理については別に秘密にすることもないんだが、今でも人気製品の一つだ。例えば、任意の定位に置かれたソロ奏者をステレオミックスから消すことも可能だ。あるいはソロ奏者を最前面に押し出すこともできる。これらは皆、フェイズシフトと特定の回路で実現可能だ。

何度も言うようだが、決して宣伝のために言うのではなく、ボク達が実現しようとしている事柄の根底には「夢"Vision"」があるんだ。クリエイティブな回路デザインばかりを追求するのではなく、一般の聴き手が満足し、受け入れられるような製品を作るべきだと思う。次の10年間では、壁のごとく積み上げられた機材は姿を消し、ごくシンプルな構成のアナログシステムに回帰することを願うね。回路設計者にとって、アナログ信号の精度は決して無視できるものではないから。アナログ回路を使って、まだまだ素晴らしいことを実現できると信じている。勿論デジタルドメインでも一定の品質は確保できるだろうが、アナログとは比べものにならない。これまで確立されてきた水準や法則から解き放たれ、それを超えてゆく事柄なのさ。創造主が、音楽家や芸術家、並びにどんな類の創造的な人々一人ひとりに与えてくれた創造性に関する事柄なんだ。それは決して目新しい事柄ではなく、2000年ほど歴史を遡ったダビデ王の時代、ユダヤの荒れ野を見渡せる山上で、彼が詩篇19章を謳ったように:
「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。
話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。
しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。(新共同訳)」

さて、これからの若い世代に言いたいことがある。
「スペックや数値は忘れて、夢を見ろ」と。
(拍手)