インタビュー
Red Hot Chili Peppers、Avett Brothers、Flogging Molly等、数多くのキャリアを持つRyan Hewitt

ほんの一握りの人々だけ、幸運にも音楽業界の中で成功することができる。Ryan Hewittは若い頃よりレコーディングスタジオのある環境で育った幸運の持ち主である。それは、Red Hot Chili Peppers, Flogging Molly, Avett Brothers等のバンドや Red Hot Chili Peppers の John Frusciante のソロプロジェクト担当といった、人気エンジニア/ミキサーとしてのキャリアへの完璧な出世を経ている。

 

 

お父さんの職場によくついて行ったの? 

ああ、そうだよ。もちろんさ。僕は子供の頃しょっちゅう、お父さんについてRecord Plant に行ったものだよ。彼はNew YorkにあるRecord Plant のリモートセクションで働いていたんだ。

一緒に職場に行くが好きだったの? 

最高だったよ!とても面白かったしね。子供の頃、僕は何もわかっていなかったから、よくテックショップをブラブラして、そこに入り浸っている奴らとよくトラブルを起こしたものだよ(笑)。 僕は状況がよくわかっていなくて、ただジュークボックスで遊んで、きちがいのように走り回っていたんだ。

でも、Tom Swiftというエンジニアが僕の目をドラムに向けさせてくれた。 彼が僕をTony Williamの黄色いGretsch ドラムセットの前に座らせ、“kick-snare-hat“みたいなドラムの叩き方を教えてくれたのを憶えているよ。それ以来ドラムが大好きになった。数ヵ月後、僕はお父さんにドラムセットを買ってもらったよ。それが「終焉」の始まりだったんだ(笑)。

それが小さい時、将来なりたかったことなの? 

なんだか変だけどね。僕のお母さんは、僕をペンシルバニア大学に入れて建築家か医者なんかにしたいという夢があったんだ。典型的なユダヤ人の母親で、「宿題をしなくちゃだめよ!だってあなたは、MITかペンシルバニア大学に行って建築家になるのよ。だから、こうしなさい!ああしなさい!」と言っていた。

そして僕が音楽を始めるようになり、お父さんは、「音楽をしてもいいよ。でも明らかに、君はこの業界がどんなに大変であるか知っているよね。もし君がやりたいのであれば、私は君をサポートする。でも、何かしっかりとした分野で学位を取らなくちゃあだめだよ。万が一、君が音楽に興味がなくなった時のためにさ。少なくとも何かのバックグラウンドが必要だよ。もし君が音楽をやると決めたのなら、他の誰よりも違ったバックグラウンドを持てるじゃあないか。」といつも言っていた。

大学には行ったの? 

ああ。Tufts大学に行って、電気工学で学位を取ったんだ。僕はGeorge Massenburgになる夢があったけど、僕が実際何もデザインできないとわかった時、その夢はあっという間にペシャンコになったよ(笑)。

 

あなたはドラマーでもあるわね。バンドで演奏したことはあるの? 

大学在学中ずっとバンドにいて、僕はキャンパス内の音楽関係を独占していたような感じだった。僕は“A-V”オタクだったんだ。僕は音響会社を経営してて、音響設備会社なしで学校に来るすべてのライブイベントでは、結構音響のミックス作業をしたよ。

業界で育ったことで、何か有利な点はあったかしら? 

もちろんだよ。面白いことに、僕のお父さんは自身の才能と今までしてきた偉業に関してとても謙虚なんだ。彼は「現代のライブ・レコーディングの父」として知られているけど、彼自身はそのことについて何も主張しないんだよ。だから、必ずしも僕にエンジニアリングについて全部は教えてくれなかった。僕に教えてくれた主なレッスンは、どんな仕事の基礎となるものだったよ。それは主に、確固たる仕事倫理を持つということだ。

僕のお父さんは、することすべてに対して用意周到なんだ。彼は仕事の数週間前から、詳細にわたりじっくり検討するんだよ。ライブ・レコーディング業界で働くことを、僕が子供の頃また思春期の時も、どのように仕事に向かうかっていうことを示してくれた。起こるであろうすべての可能性また失敗を視野に入れ、そして問題を解決するよう準備し、かつ土壇場の変更にも対処するんだ。

そしてもちろん、お父さんを通じて築いた人脈は僕を助けてくれたよ。でも、そうでなくとも、僕はひとつひとつのことに全力で頑張ったからね―スタジオ内、スタジオ外、そして学校でもどこでもだ。僕の仕事に対する倫理は、一番の長所だと思うよ。

それは親から学ぶ一番素晴らしい事ね。 

そうだね。彼がもし働き者じゃあなかったらまったく意味を成さないよ。彼にとって仕事をやり終えることがすべてなんだ。そして、すべてが順調にいくように努力するんだ。

大学卒業後、何をしたの? 

大学卒業後・・・・・(笑)。 とっても良い大学に行ったから、お金をすべて使い切ってしまったよ。それから、New Yorkにあるソニー・スタジオの使い走りとして1時間5ドルの仕事をした。僕の両親にとってとても誇らしいことだったよ(笑)。電気工学クラスの僕の友人達は、Raytheonなんかで仕事を得ていた。クレイジーなハイテク企業だよ。コンピュータープログラミングとかミサイルシステムのデザインをしたりと、決してエキサイティングなことではないけど、でも確かにいい給料で安定した恵まれた生活を与えてくれる。

僕はというと、完全に真逆の道に進んだ。New Yorkに行き、ソニー・スタジオのマイクロッカーで一時間5ドルの仕事をしていたんだよ。

でも、お父さんが僕に植え付けた仕事に対する倫理観が僕を人一倍働き者にしたんだ。僕は8時間交代で働き、その後もその場にいてアシスタントの手助けをしたりしていた。

それが、あなたのこの業界での育ち方なのね。 

その通りだよ。僕はアシスタント、みんなの手助けをしたものさ。僕は、「何かすることはありませんか。僕を隅っこに座らせて、皆さんがしていることを見ているだけでも構いません。」という態度だったんだ。彼らは、「何でも?そりゃいいや。これらSSLディスクのフォーマットをしてくれ。」と言い、僕は、「わかりました。どうやってやるのか教えて下さい!」と言ったものだよ。僕は教えてもらったことすべて小さなノートに書き、腰を下ろし、数時間でSSLディスクをフォーマットしたのさ。

もしくは、デジタルテープにフォーマットしたり、リコールしたり、やり終えなきゃならない、ごくありふれたアシスタント的な仕事を全部引き受けたんだ。もしアシスタントが、何か新しい知識を知りたくてワクワクしている奴を見かけて、そいつが良い性格で、良い印象を与えたいと思っているのがわかっていたら、もっと色々させてあげるんだよ。

そこで僕がとても早く昇進した理由は、技術者の一人が素晴らしいギタリストで、結局、Grant Green Jr. のレコードをプロデュースすることになったからなんだ。彼らは全くお金がないだかで、はっきり憶えてないけど、でも彼はその場にいたアシスタントひとりひとりに、「このレコードのエンジニアをしたくないかい?」と聞いてきたんだ。7/4の週末かのように(独立記念日ホリデー)、誰も「うん」と言わなかった。そこで彼は使い走りのひとりひとりにも、「このセッションのエンジニアをしないかい?」と聞いてきた。皆、“No”と断ったよ。遂に僕のところに来た。その当時、僕は尋ねるのに最後の人間だったんだ。彼は、「これのエンジニアをしたいかい?」って聞いてきて、僕は、「もちろんだよ!やりたい!すぐやろう!僕はGreen Grant の大ファンだし、ジャズ&ブルースを愛している!」と答えたんだ。

そして、僕はNew York Cityが生んだ伝説的な、怪物級のプレイヤー達を引き連れて、この小さなスタジオに現れたのさ。さあ、いよいよ、僕の初めての出番だ!僕のお父さん抜きでの仕事だった。だから、僕らがスタジオで音響を操作等していたら、プロデューサーの友人の一人で、スタジオの善きクライアントでもある人がやって来て、「おい、一体お前は誰なんだ?」彼はそれまで僕を見たことがなかったんだよ。僕は彼に、僕が新しい”使い走り”だと話したんだ。

彼はソファに座り、少しして立ち上がり僕に、「いいか、明日から君はもう使い走りじゃあないんだ。俺がマネージャーに話しておく。君は明日行う俺のセッションのアシスタントだ。」と言った。僕は、「何を言っているんですか?僕はアシスタントなんかじゃあないですよ。」って言って、彼は「今からそうだ。君は“使い走り”なんかじゃない。一体何をしてるんだい?」と言ったんだよ(笑)。そして、次の日、彼はスタジオマネージャーの所に行き、「この若者を俺のアシスタントとして欲しい。彼はもう“使い走り”なんかじゃあない。」と言ってくれた。そんな風に僕は昇進したんだよ。

本当にエキサイティングなことだった。なぜって、僕は誰も欲しがらない仕事を引き受け、それは素晴らしいセッションだっただけでなく、僕もそのおかげで昇進できたんだよ!その仕事をやりたがらなかった奴らをみんな飛び越してだ!

僕はソニースタジオでアシスタントとして、たぶん4年くらい働いた。そして物事の常で、ある時期がきたら去らなければならないのさ。だから、僕はそこを去り、フリーランスの仕事を始めた。僕は Phil Ramone のホームスタジオで彼のエンジニアとして働いたよ。

 

 

 

きっと素晴らしい経験だったでしょうね! 

 

ああ。あらゆるレベルで、それは本当に素晴らしい経験だった。

今、あなたはLAに住んでいるけど、東海岸から西海岸に移ったのはなぜなの? 

ソニースタジオで働いていた時、僕は Don Warshba やSSLの人達と友達になったんだ。だから、彼らは僕をフリーランス・ベースで、彼らのコンソール、その当時新しかったAxiom MT等の使い方を人々に教えるのに雇ったんだ。これは1998年頃のことだよ。

一方、僕のお母さんが西海岸に移ってきて、僕は母やここに移ってきた大学時代の旧友達を訪ねてきたんだ。今でも憶えているけど、LAから帰る道中、SSLから電話がきて、「LAの我々の事務所で働いていたスタッフが辞めたんだ。彼のかわりに君に一刻も早くここに来てもらいたいんだ。」と言われたんだ。僕はLAから家に帰る道中で、月曜には演奏があり、でも水曜には戻ってこれる旨を伝えた。彼らは、「そりゃいい!これが君の航空券だよ。」と言ったよ。

僕がLAに行き1週間たった頃、彼らは「いいかい?もし、君がこの仕事を欲しければ、この仕事は君のものだよ。これが給料で・・・・」だから、僕は「よし!やろう!」と言って家に帰り、荷物をもってLAに越してきたんだ。ものの3週間のことだったよ。

まるでそれは、本当にエキサイティングで掘り出し物みたいなものだったよ。僕がその電話を受けたちょっと前に、たぶん1ヶ月くらい前にカリフォルニアに行き、New Yorkに帰ってきながらこう考えていた― 「全く!こんなのやっていられない!僕はNew Yorkから離れるのに準備OKだよ。もし電話で誰かが僕にLAでの仕事をオファーしてきたら、僕は引き受けるだろう。」と。そして、案の定、そのとおりに起こった。完璧な状況だったんだ。

このSSLでの仕事はLAでのあなたのコネクションを助けたでしょうね。 

そのとおり!SSLで働くということは、僕は街中すべてのスタジオ・オーナー、たくさんのエンジニアやプロデューサーに会うことなんだ。僕はLA中を運転して、街のことをすぐにわかるようになった。完璧だったよ。僕は業界のすべての人々と会ったんだ。そして、僕はその後、SSLコンソールの使い方を知った。本当に素晴らしかったよ。

そして、“Cello”にいきついたんだ。その当時の“Cello”で僕は Candace (Stewart) と Gary (Myerberg) に出会い、彼らとよく一緒に過ごすようになった。 Jim Scottともまた付き合い始めたんだ。 そして同じ事がおこったんだよ。SSLで1年たった頃、僕は仕事で一杯いっぱいになっていて、ある日、Jimのアシスタントが辞めて去った。彼は、「おい、僕の下で働かないかい?来週、Red Hot Chili Peppersの仕事に取り掛かるんだよ。」と言った。僕は、「いいね!やろうよ!」っていつもの同じように話したんだ。

僕のお父さんがNew YorkのRecord Plant Remoteを運営していた時、JimはLAのRecord Plant Remoteを運営していたんだ。だから、彼は僕のお父さんをよく知っていた。それに、僕達はセッションの組み方や準備の重要性について同じ考え方をしていた。僕らはすぐに意気投合して、その後2年間くらい一緒に仕事をし、10-12枚のレコードを制作した。それも、また素晴らしい人生経験だったよ。

そして現在、あなたは独立した、フリーランスよね。ホームスタジオを持っているの? 

うん。

トラッキング作業、ミキシング作業のどちらが好きなの? 

僕は両方好きだね。でも、ミキシング作業が一番好きだ。最高に面白いんだよ。

 

もちろん、今ではUAD、QUADカードを所有しているわよね。 

そうそう!ちょうど“Guitar Hero”に取り掛かるのに間にあったのさ。大学時代の親友の一人が、“Guitar Hero”のオーディオ機器のディレクターなんだ。僕らは2-3年前に再会し、僕にミキシングを依頼してきたん。だから、僕は“Guitar Hero”に合うミックスをたくさんやったんだ。“Guitar Hero”曲用に、オリジナルのレコードからオリジナル・マルチトラックを取って、ミックスしたものに合わせ、そして、 “Guitar Hero”のフォーマットに合うようにプリントしなければならない。僕はDire Straits、Fleetwood Mac、Blue Oyster Cultのレコードにしたと同じ事をやったんだ。

マスターから軸となる部分をを取るんですか?

僕はオリジナル・マルチトラックの第一世代のコピーをとり、移動するんだ。Dire Straitsの場合は、Markがイギリスに彼自身所有のスタジオがあるんだ。だから、彼はオリジナルを録音し―Sonyの3348だと思うけど―そして、彼自身でPro Tools に転送したんだよ。

機材を持っていたとしても、僕は本物のアナログマスターを取らないんだよ。自分で転送を始めるんだ。

そんなに近くで歴史的なことを再体験するなんて、面白いに違いないわね。 

そのとおり。僕はBlue Oyster Cult の“Burning for You” からの24トラックアナログマスターのコピーを持っていたんだよ。子供の頃、大好きだった曲なんだ。その曲のビデオは最高だった。

でも、一番良かったことというのは、僕は本当にすごいオタクだから、インターネットで彼らがどのスタジオでレコードのミキシングをし、そしてどのコンソールや機材を彼らが使っていたのか調べるんだよ。Blue Oyster Cult の場合、彼らはUA社がBruce Swedienのものをモデルにしたのと同じEQを搭載しているHarrison 3624を使っていた。その当時ではそれは最新式で、どの記事でもBlue Oyster Cult がこのコンソールでどのようにミキシングしたのか等々に掲載されていた、僕は、「やったね!僕は同じEQを持っている。決まりだ!」

そして、僕はマルチトラックにすべてのチャンネルをかけてると、ほとんど瞬時にミキシングと合わせることができるんだ。なぜならすべて同じ周波数にしているし、EQで同じも同じ特性なんだ。

スネア・ドラムの時は、僕は「うーん。これは正しい音がでてない。これはむしろパルティックのように聴こえる。」と思ったのを憶えている。僕はUA Pultec ProをHarrison 32C Channel EQに加えて重ねた。だから、それはまだUA Pultec Proに続いてHarrisonのサウンドが残っていて、僕のスネアドラムのサウンドも残っていたんだよ。本当に格好良かったし、同じようなツールと一緒にミックスするのにもとても簡単だったんだ。

その後、僕はDire Straitsの“Money for Nothing,” もともとSSL4000でミキシングした曲を手掛けた。僕はUAD 4K Channel Stripを全部のチャンネルに敷いた。僕はEQに合わせるようにしていたんだよ。だから、もしそのスタジオのEQに少し違う特徴があったら、僕はそのEQが何であるかわかったのさ。Power Stationでは、その当時、Pultecs、Fairchild 670やその他のものも使われていた。

だから、僕はもしSSLチャンネルのような音をださなければ、良い音を出すものであれば何でも使うようにしていた。僕はEMT 250 クラッシック・エレクトロニック・リバーブレーターとEMT 140 クラッシック・プレート・リバーブを使っていたよ。本当に上手くミキシングできたから、Mark Knopflerを一回でパスできたよ。

あなたのすべてのアプローチ方法が本当に素晴らしいわね! 

とてもエキサイティングだった。そこに一緒に座って、オリジナル・ミックスをするその現場で同じバイブレーションを感じることは、本当に凄いことだったよ。UAD Powered Plug-Ins は仕事をより簡単で早く済ませることができるんだ。

あなたがオリジナルのスタジオに何のアウトボード・ギアがあったのか知っていることに感動です。

そうだね。すごく“オタクっぽい”よね。レコーディングした時代をベースとしているんだ。もし、あるレコードが1981年にミックスされたとすると、1981年にどんなものが発売されたかを調べるんだ。僕は“オタク”だから、いつも目新しいものを使いたがるんだよ。1981年、1976年頃、みんな同じことを考えていたと僕は想像できるよ。きっと、「わあ!AMS DMXが発売されたぞ!よし、使ってみよう!」もしくは、「RMX、これはすごいやつだ!よし使おう!」という具合だ。あるいはEMT250とか、とにかく当時、新しくてイカしていたものをさ。

その当時のレコードの多くは、当時最先端だった機器で雰囲気が決まってしまうんだ。Dire Straits の “Money for Nothing”とかは、そのスネア・サウンドは明らかに AMS non-lin のサウンドだよ。疑う余地はないね。それこそ、今、UA社がモデルとしなきゃあならないものだろうね(笑)。

つまり、あなたはUAD-2 Cardにとても満足しているって理解していいのかしら?

そのおかげで、どこでもミキシングできる。自分に身近なものをNeve Module やSSLチャンネル・ストリップとして見ているだけでなく、音も素晴らしいんだ。

僕はUA社でWill Shanks と“Manley Massive EQプラグイン” について話した時、「これは正確か?そんなのどうでもいい。でも、音は本当に良い。」という感じだった。僕のバスにManleyをプラグインすると、Manley のように聞こえるんだ。これは完璧だろうか?そんなことわからない。でも、僕が気にするだろうか?いいや、気にしない。なぜなら、とにかくそれは他に依存せずに素晴らしい音を出すからなんだよ。

学べば学ぶほど、自分の目的へとより早く到達できるし、より多く興味深い人々を自分の見方にできる。もし、あらゆる角度から自分に向けられた知識をすべて吸収できたら、もう限界なんてないよ。それが僕がいつも心がけてきたことなんだ。僕は誰よりも勝っていたかったし、誰よりもいい仕事をしたかったんだよ。

僕は本当にそういうことやプラグインの違いなんかで興奮するんだよ。スネアドラムで、Neve 1073EQから1081EQや31102EQへ移行する時なんかは、コンソール・インサートするハードウェアを変えるにしたがって、大幅に違いがでてくるんだ。すべてのEQは、そのモデルされたもののハードウェアの特徴を持っている。そして、君には君の慣れ親しんだ設計があって、そこにある周波数が何であるかわかるんだ。

君があるEQを使う時っていうのは、君がそのハードウェアを使って奏でるギターサウンドを気に入っているからなんだよ。専門用語で説明できるようなことじゃあないんだよ。でも、NeveプラグインやSSLを使う時や、たまに“Trident A-Range”を使う時に感じる暖かくて、ファジーな感覚なんだ。

それと、EMT250と140エミュレーションはただただ驚きだ。この2つはアプリケーションにおいて、コンボリュ―ション・リバーブのはるか先を行くと思うよ。本当に素晴らしい。

現在、何に取り掛かっているの?

僕は今、コロンビアレコードの Avett Brothers ライブレコードに取り掛かっている。

あなたがレコーディングしたの?

昨年11月、ノース・キャロライナ州にある僕のお父さんのトラックでレコーディングしたんだ。エンジニアとして、またクライアントとして初めて彼のトラックで行った仕事だった。実際、自分の父をアシスタントとして雇うことは、とても感情的なものだったよ。(笑)

現在は、ミックス作業段階なの?

ああ。僕はもっぱらボックスでミキシングをしている。なぜかというと、僕はステレオ式でやって、いったんRick Rubinが承認したら、DVDリリース用に5.1に展開するんだよ。UADプラグインの機能全開だ。僕はすべてのチャンネルにUAD 4Kチャンネルを使っていて、ミキシング作業をずっと簡単にするんだ。

僕は実際試したんだ―僕がくだらない話をでっち上げたんじゃあないけど―でも、僕は11月、それはUADプラグインを手に入れる前で、ただもがき苦しんでちっとも楽しくなかった時に、このレコードをミキシングしようしたんだ。ラッキーなことに、彼らは別の理由で―正直、僕にはその理由がまったくわからないけど―このプロジェクトを延期することにした。彼らは、僕がもがき苦しんだミックスしたものさえ聴いていなかったんだ。そして、先月、彼らはそのプロジェクトを甦らせたんだよ。先月、彼らは僕に電話してきて、「私達は、このレコードを復活させたいと思っている。やろう!ミックスしよう!」と言ってきたんだ。

だから、僕はまたすべてを最初から始めたんだ。僕は思ったよ・・・僕には新しいプラグインがある。僕は、以前レコーディングしたものを聴くことさえしたくなかった。だから今ではUADをすべてに、それとEMT140プレートとEMT250はエフェクトとして使っている。ずっと簡単なんだよ(笑)。「ずっと簡単」以外に言い方が見つからないよ。

この業界で育ったあなたの生い立ちは、Putnamファミリーのことを思い起こさせるわね。Bill Jr.は子供の頃、お父さんと一緒に仕事に行ったのよ。

本当だね。

以前、あなたのお父さんに会ったことがあるわ。彼は本当にカッコイイ男性ね。

そうなんだ。彼は自分の仕事をしっかりするけど名声を欲しがらない、本当に素晴らしく控えめな男なんだ。彼は本当に人と話すのが好きではない。仕事が好きなんだ。もし、彼の評判を暗示するものがあるとしたら、彼のニックネームは“Lone Ranger”(ローン・レンジャー)だね(笑)。

でも、まあ、彼は素晴らしい師匠だよ。僕は、本当に、本当にたくさんの素晴らしい師を持つことができて光栄だ。

この業界で師弟関係は本当に重要でした。でも、もうそうではないように見えるけれど。

僕はいつも自分の師匠について話すのが好きなんだよ。なぜかというと、師弟関係はとても重要だし、業界において「失われた伝統」になりつつあると思っているからなんだ。僕はそれを守り、インターンやアシスタントを取るようにしている。

僕は生意気なアシスタントだった。僕は自分が最高だと思いこんでいたんだよ。他のみんなを抜かして昇進したからね。僕のキャリアで起こった沢山のことのように、正しいドアが(僕の為に)開いていたんだ。シューっと僕はそのドアを通り抜けたんだよ。Michael Brauerのアシスタントが辞めたとき、スタジオのマネージメント担当者が、「これはこれは!“腕利きさん”がいるじゃあないか!はっぱを掛ける必要があるな。ほら、Michael!こいつに発破をかけろよ!」と言ったんだ。そして、僕は彼のもとで働くようになった。彼には、アシスタントをとてもこき使うという評判があったんだよ(笑)。

当時、彼はアウトボード・ギアをたくさん所有していた。今では、その10倍は持っているよ。それに彼は、働き方、部屋に何を置くか、彼のアシスタントの顧客の周辺での振る舞い方などについて、とてもうるさかったんだ。それの多くは僕が父から受け継いだのと同じものだけど、Michaelはそれをもっと過剰にしたんだ。

僕が仕事場に入り、デスクに座っている彼の隣に座ろうとすると、彼は「だめだ!私はお前を見たくもないし、私の視界にも入れたくない。後ろに座っていろ。」という具合だったよ。だから、僕はいつも後ろに座っていたものさ。ある日、僕が後ろに座って貧乏揺すりをしていると、彼は「やめろ!」とピシャリと言った。また別の日には、僕は二日酔いで居眠りをしてしまい、「おい!後ろで居眠りしているだろう?私にはお前が居眠りしてるってわかってるんだ!見えないけど、私はお前が居眠りしてるってわかってる。起きろ!」と彼に言われたよ。彼は僕に厳しかったけど、そのお陰でスタジオで行われていることに対して、とても注意を払うようになった。でもその後、彼はデスクとA/B異なるサウンド機器の所に座っている彼自身の隣に僕を座らせ、何がより良いと僕が考えているか聞いてきたんだよ。そういうことが、僕の音楽を聴く耳を育てるのに手助けしたんだ。僕らは2年間一緒に仕事をし、その後も彼と素晴らしい友人関係でいるよ。

僕は今自分が持っているミキシング技術のすべてをMichaelから学んだ。そしてその後、LAにあるCello Studioに移り、Jim Scottと仕事をするようになった。彼との関係も同じようなものだったよ。僕は彼がどのように仕上げたいのか、また彼のトラッキング・デートの仕方を学ばなくてはならなかった。いつも余分にマイクやDIやアーティストの為に水を用意していたよ。これがバンドの為のレコーディング方法なんだ。僕は本物の名人からトラッキング技術のすべてを学んだのさ。

僕は今でもJimと Michaelの親友だ。僕はアドバイスを求めてたり、ただくだらないことを話すのに彼らに電話をするんだ。それに、彼らも今何が一番人気のあるギアなのか知りたくて僕に電話してくるんだよ。

この業界に入ろうとしている若い人に何かアドバイスはあるかしら?

可笑しいよね。現在、僕は後輩を指導する立場にいるんだけど、なんだか子供がこの業界で育った感じだ。僕は最初のインターンを引き受け、1年くらいそのアシスタントを指導した。本当にエキサイティングな経験だったよ。今では彼は巣立っていき、Live Nationでライブ・ミキシングの仕事をしている。

しかし大事なことは―ちょうど、僕のインターンとこのことを話したんだけど―何かの分野で教育を受けることだ。もしレコーディングスクールに行こうと決意したら、行けばいい。でも、それが究極の目的ではないんだ。この業界で成功するために重要なことは、何か違うことをすることだと思うよ。 それは典型的なレコーディング・スクールに行って、訓練をしないことではないんだと思う。

まず、謙虚であること。レコーディング・スクールやその他の学校を卒業したての時は、本当に何にもわかってないんだ。もし、君が現場にやってきて、「エンジニアとして働きたい」とか「アシスタント・エンジニアとして働きたい」と言ったら、みんな笑うだろうよ。君の履歴書はファックスやe-mailからゴミ箱へ直行だ。そして、そこでの君の仕事を得るチャンスは終わりだ。

入ってきたら、「私は、どこそこから来ました。何の仕事でもするつもりです。」と言うべきだ。まあ、トイレ掃除なんかをしなくちゃあならないだろうし、僕の場合は、僕の父の為に何年も車のタイヤを磨いたり、ヘビについている泥を落としたりしたものだよ。僕は雑用を飛ばして、順番を無視して列に割り込むようなことをしなかった。トラックのエンジンオイル交換やタイヤ磨き、洗車や掃除機かけなど、他の使い走りやインターンがすべきと同じ事を僕はしなければならなかった。

何でも言われたことを全力でするのは本当に大事なんだよ。そして、もし君の全力でしたことが他の人が全力でしたことを同じ位良くなかったら、君は潰されてしまうのさ。そして、それがこの業界での“少年から大人”への別れ道であり、それによって君が他の誰よりも気づいてもらえるんだよ。もし8時間勤務を終え毎日まっすぐ帰宅して、スタジオの作業や運営に興味を示さなかったら、あらゆる段階で君は成功しないんだよ。

4年程前、LAのあるスタジオで使い走りをしていた男性がいて、彼は最低限の事しかしなくて気が利かなく、座ってピンボールなんかをしていたよ。僕がSonyスタジオで働いていた時は、よくうろうろして色々な物の直し方を学んだ。マイク・ロッカーやスタジオ、それにマネージャーのオフィスをうろうろして、スタジオ内でいつも何が起こっているのかを勉強していたよ。

学べば学ぶほど、自分の目的へとより早く到達できるし、より多く興味深い人々を自分の見方にできる。もし、あらゆる角度から自分に向けられた知識をすべて吸収できたら、もう限界なんてないよ。それが僕がいつも心がけてきたことなんだ。僕は誰よりも勝っていたかったし、誰よりもいい仕事をしたかったんだよ。

誰も最低限のことしかしない奴となんて仕事をしたくないよ。僕は自分のスタジオ内でそんなことに我慢がならないし、僕がアシスタントだった時でさえ、そんなことに我慢なんてできなかった。僕は最低限の仕事しかしない奴に電話なんて掛けない。僕はいつも全力で仕事に取り組む人々、それと興味深い人々にしか電話しないよ。

僕がアシスタントだった時、僕は、“僕の仕事を欲しい”と思っている“使い走り”が欲しかったんだ。もし、彼らが僕の仕事を欲しいと思っていなかったら、僕はそんな人達を自分の周りに置きたくなかったよ。もし“僕の仕事が欲しい”と貪欲に思わないのなら、そんな奴にすべての事を教える意味がないだろう?

Skywalker SoundLeslie Ann Jonesはかつて私に、前進するのに最良の方法は、現在置かれている自分より一歩先の仕事を考える事だと思うと話してくれたわ。つまり、もし自分がアシスタント・エンジニアだったら、エンジニアのように考えること。そして、もし自分がエンジニアだったら、プロデューサーのように考えるってことね。

僕はそのとおりにしたよ。つまり、君がエンジニアにどうすべきかとか、これが抜けてるとかあれが抜けてるとか必ずしも言いたくなくて、でももし君がJim Scott やMichael Brauerのようにエンジニアをバックアップしていたら、きっと君は彼の仕事のやり方や、彼のシグナルの流れを見聞きし、彼の仕事の仕方を完璧に理解しているのさ。

僕がMichael やJimと安定した着実な仕事をするようになる前には、僕は小さなノートを持つようにしていて、仕事できたすべてのエンジニアの仕事方法についてメモっておいたのさ。そのエンジニアが9Kのインサート・ミキシングで仕事をするのが好きかどうか、彼がSnap Modeをオンにしてミックス作業をするのが好きかどうか、彼が1176セットで、ドラム・バスと並行にバス3とバス4を使うかとかね。

僕はすべて書き留めたんだよ。これが彼の好きなエフェクトとか、これらが彼のセッティング等‥・そして次回彼が仕事できた時には、すべて準備O.K.なんだ。彼は何も注文つけなくていいんだ。彼は、NS-10を特別な方法でセットアップするのを頼まなくてもいいんだよ。僕はそのエンジニアが大きな会場のセッティングでREV-7を使うのが好きなのを知っているからね。

僕はElliot Scheinerのもとでも働き、メモを取ったよ。2度目に僕が彼のもとで仕事をした時、彼が入ってきて480に手を伸ばした。その時にはもう彼のセッティングにセットされていた。彼がREV-7に手を伸ばしたら、それはすでにセップされていて、すべて準備が整っていたんだ。彼は何も言いつける必要がなかったんだ。

そうしたところで、褒められることなんてないかもしれない。でも、結局はそんなことは問題じゃあないんだよ。重要なのは、彼や君が(レコーディングに)興味を持っていることをわかっていることなんだ。僕にとってそれは、とてもエキサィティングなことなんだ。

素晴らしいアドバイスね。出世の階段を上る人には、実践的なアドバイスが必要なのよね。

今の時代そのことで難しいのは、あまり多くのスタジオが残っていないし、師弟制度で可能な仕事のポジションがあんまり多くないってことなんだ。僕が言ったように、僕はちょうど最初のインターンを受け入れたけど、それは難しい仕事だよ。その青年はここにたった数週間しかいないし、彼にとっても僕にとっても価値があるものを教えることって何なのだろうか?ってね。

インターンは、師匠が自主的に自分の仕事のスケジュールから大切な時間を犠牲にして、彼らが一生をかけて学んできた知識を教えようとしていることを本当に理解する必要があると思うわ。

本当だね。腕利きのエンジニアの下で働いた経験がない限り、本当に「本物のエンジニア」になれないと思うよ。単に無理なんだ。

インターネットを使ってもだよ。人々がどのように(音楽を)継ぎ接ぎしているかとか、彼らがあるギアをどうやって使っているかインターネットで調べることができる。でも僕はそれでも、熟練したベテランと一緒にスタジオにいて、その雰囲気やクライアントとの接し方、常に起こる問題や状況の対処方法、商業的側面にどう対処するかなど経験する必要があると思うんだ。

キックドラムサンプルの使い方を知っているからといって、ヒットレコードを生み出せるということではないからね(笑)。