Spike Stent は音楽業界で引っ張りだこのミキサーの一人であり、一昨年だけで、Beyonce、Madonna、Lily Allen、Goldfrapp、そしてYeah Yeah Yeahs等と音楽シーンに刻んできました。彼は、Bob Clearmountanが80年代にしたように、“the art of mix”を再定義したと言われています。今回私は、Spike Stentと家族が住むLos Angelesでインタビューを試みました。

あなたがSpike Stentというニックネームを得た由来を教えて下さい。
面白いことに、それはTrident Studiosで行った最初のフリーランスギグにさかのぼります。私は, John Paul Jones(Led Zeppelin)のバンド“The Mission”のアルバムのエンジニアリングを担当していました。Oxfordshireにある“Manor Studio”でレコーディングを開始しなくてはならず、私とJP(John Paul Jones)は日曜夕方スタジオに入り食事を取りました。でもバンドメンバーはスタジオに来なくて、彼らは翌朝4時くらいまで姿を見せなかったのです。彼らがスタジオに入ってきた時、彼らはそれまで何をしてたか知らないけど、とにかく凄い状態で現れたんです。必然的に、翌朝、僕はスタッフとアシスタントと一緒にスタジオの準備をし、ボーカル担当がスタジオに入ってきた時、まあ彼は明らかに私の名前を忘れていましたね。当時、私はとてもつんつんとしたヘアスタイルをしていたので、こんな名前になったんだと思う―彼は私を“Spike―先の尖ったもの”と呼んだのです。それから、その名前が定着したんですよ。私達はそのスタジオに3ヶ月間いたけど、みんなその名前で私を呼んでいました。それから、私達はアルバムのミキシング作業の為にTownhouseへ移り、それから、そこの皆も私のことを“Spike”を呼び始めたのです。それは、たまたま偶然に起こったことなんですよ、本当に。
この業界でどのように仕事をスタートさせたのですか?
16歳の時、(イギリス南東部にある州)Surrey州、Farnham市にあるJacobs Studiosで働き始めました。私はそこに4年半いました。
スタジオの使用人として始めたのですか?
いいや、実際には「芝刈り担当」として初めたんですよ(笑)。修理などの雑用をしていて、次第に、夕方や私の仕事の休みの日にスタジオでの仕事をするようになりました。そのスタジオのオーナー、Andy と Fran Fernbach―彼らは私のキャリアで基盤を築いてくれた人々の一人で、この業界でのスタートを与えてくれたのです。本当に彼らに感謝しても感謝しすぎることはありません。そのスタジオは2部屋の宿泊施設のついたものでした。私達はよくコンソールを変えたもので、よく違うデスク―Amek、Harrison、MCIやSSLなどを使ったものです。そのスタジオには3Mデジタル・テープ機が搭載されていて、それは当時イギリスでもう一つのスタジオにしかないものでした。今でも、それは素晴らしい音響機器だったと思いますよ・・・・・・まあ、技術的にはちょっと危なっかしいものでしたけどね。
私の最初の好機となったのは、“Steel Pulse”というバンドとの仕事でした。彼らはラフなミキシングの仕上がりにしたくて、、このレコードに長いこと取り掛かっていたのです。ある土曜日の朝、私はスタジオに行って、彼らの為に9つラフなミックスを仕上げたのです。その夜、私の上司、アンディはバンドのマネージャーから連絡を受け、「バンドのメンバーがMarkにミキシングをして欲しいと言っている。」という内容でした。ですから、私は彼らのアルバム“Earth Crisis”の半分をミキシングすることになったのです。当時、私はまだ17歳くらいでした。
どのような経緯でミキサーになったのですか?
Jacobsのもとを離れ、LondonにあるTrident Studioで働きはじめました。 私は当時とても若かったので、Londonのスタジオで働いてみたかったのです。当時は1985年頃で、私は12インチ盤ミックスをたくさんやっていました。DJもいて、彼らはミックス盤を作るよう依頼をうけていて、スタジオによく来ていたけど、私達は一緒にいろいろな仕事をしたものです。それらのミックス盤はとても良く出来上がったので、会社のA&R担当の人々がやってきて、「ちょっと待った。なぜ12インチ盤ミックスは音響的にも、もともとの7インチシングルより良いんだい?」と聞いてきたのです。それから、私は7インチシングルのミックスも依頼されるようになり・・・これがどうやってすべてが始まったかですよ、本当に。
なぜLondonからL.A.に移ったのですか?
もともとは、“No Doubt”との仕事の為に、家族と一緒にここに6週間ほどいたのです。なんとなくそれからずっといるんですよ。私には4人子供がいて、私が“No Doubt”との仕事をしている間は、私の家族はビーチ等で休暇を楽しんでいたのです。そのうち、ここ(LA)での違うプロジェクトが入ってきて、家族は私のここでの仕事を喜んでくれたのです。帰国するつもりでしたがだんだん予定が延びてしまい、そのうち、子供達を1学期の半分ここ(LA)の学校で過ごさせて、ちょっと違う経験をさせようと思ったのです。私の妻、Tracyは以前からここLAで過ごしたいと思っていたのです。その後、私のミキシングの仕事もイギリスからここへ移しました。当時、僕のイギリスでの仕事の60-70%は、アメリカ向けの仕事でした―その仕事が、私がスタジオを所有し長い間働いてきたOlympicであっても、もしくは私のホーム・スタジオのあるWiltshire州、Salisburyの仕事であってもです。
それから、Madonnaから電話があり、彼女とは過去14年間にわたってたくさん仕事をしてきたけど、彼女は、「LAで仕事をするから、Spike、LAに来てくれない?」と言ったのです。私のマネージャーでもある妻は、Madonnaのマネージャーと話し、「実は、彼はもうここLAにいるの。」と言ったんですよ。だから、私達はもっと長く滞在することになりました。いろんなことが重なって、私達はもう少しここにいると決めました。私は、ビザのことから学校のことからすべて手続きをしなくてはなりませんでした。でも、ここに住む予定はしていなかったのです。私達の家はまだイギリスにあるし、ペットの犬もそこにいるのです。今でも、私の兄弟が私のイギリスでの家とスタジオを見てくれてますよ。残念なことに、Oplympicのスタジオは1月に閉鎖されました。だから、SSLルームを備えている私のホームスタジオには、今ではOlympicスタジオそっくりに、Olympicスタジオの機材すべてがあります。その家は、「エンジニアの夢のような家」です。
あなたはエンジニアやプロデューサーがトラッキング作業をしている時、彼らとコミュニケーションをとりますか?
いいや、普通ではしません。状況によってですね。私が知っているアーティストなら、彼らがスタジオ入りする前に、そのアーティストに話しますよ。Beyonceのプロジェクトは、たくさん違うプロデューサーがついていたから、彼らは私がすべてをまとめ、一つのレコードだと感じられるように期待していました。
Chalice Studiosであなたが使用しているセットについて、話しましょうか。あなたは、ChaliceスタジオでBeyonceやYeah Yeah Yeahsのアルバムをレコーディングしましたけど。
実際には、私はBeyonceのアルバムはRecord Plantでレコーディングしました。私自身、Chaliceスタジオを拠点としているので、そのレコードためにちょっとの間、Record Plantに出張したって感じです。
BeyonceのボーカルにUAギアを使いましたか?
ええ。1176AE アニバーサリー・エディションを使いました。初めて1176AEを入力したのは、レコーディング第一日目でしたが、それ以来、私のボーカルチェーンになくてはならないものになりました。
Beyonceはとてもゴージャスで素晴らしい声の持ち主ですから、あまり手を加えなかったように感じますね。
そうですね。1176AEを2:1にセットしたのですが、私はそのサウンドに大満足でした。音響的に、ボーカルを生き生きとさせるのです。1176AEは、本当にボーカルのサウンドを盛り上げてくれます。それなしでは、サウンドが圧縮されすぎて平らに聞こえてしまうんです。他のコンプレッサーでは、単にサウンドそのものから命を奪い取ってしまったように聞こえるのです。でも、1176AEはそんなことはありません。サウンドを豊かで充実したものにするのです。素晴らしいですよ。
完璧なヴォーカル・チェーンとはどんなものですか?
コンピューターから始まり、コンソール、それからdbx902、そして1176AEへと続きます。他のチャンネルには、UA610と902があって、その2つの混合みたいなものです・・・・でも、主に1176AE が軸となる「サウンド」を決めます。
Karen O (Yeah Yeah Yeahs)はとても特徴のある、個性的な声の持ち主ですね。
そうだね・・・・同じボーカル・チェーンを使ったけど、とても気に入ったよ。
本当?Beyonce と同じボーカル・チェーンですか? それは、興味深いですね。
うん。当然、EQは調整したし、ボックス内にあるもののオートメーション化を図って、あるエフェクトを送ったり違うエフェクトを送ったりと、そんな感じです。オートメーション化は多くの部分で進んでいます。EQは違う対処法が必要なので、それぞれ違うセクションの内外でオートメーション化がされています。私のミキシング作業でもよく起こっていることなんですよ。
将来、それをどのように使っていくとお考えですか?
基本的に、私にとってのボーカル・チェーンは変わりません。知ってのとおり、私は常に LA-2Aばかり使っていました。つまり、私がOlympic市にスタジオを建てた約10、11年前、お気に入りが見つかるまでLA-2Aを8台ほど使ってみました。そのことは、私のボーカルサウンドを確立するのに大切な部分ではあったけど、でもこの1176AE アニバーサリー・エディションは何か違うのです。私にピッタリ合うんですよ。ボーカルの曲への収まり方が絶妙なのです。それを使わないと、ボーカルのサウンドが圧縮されて平坦に聞こえるのです。存在感があるというか、パンチがあるのです。とっても気に入ってますよ。
Edgeのギターをミキシングするのに何か秘訣はありますか?これは皆が知りたい大きな質問ですが。
そうだね・・・・大きい音!(笑)すべて曲次第です。Edgeのギターのサウンドはとてもユニークなんです。彼の弾き方、そのエフェクト(効果音)、それらのバランスの問題です。ギター音が猛烈に激しい近頃のロックレコードのそれとは違うのです。彼の場合、曲のあるポイントでの、音楽全体に対してどう共感を引き起こし、聞き手の感情を揺さぶるかどうかということが重要なのです。その状況下では、ミキシングはおもしろい過程です。それは、馬鹿げたほどダイナミックにして大げさにしたり、またスピーカーを圧倒したりするのではなく、より感情に訴えかけるものなのです。その曲にあった空間を探そうとすることなのですよ。
あなたはレコーディングで曲を聴く際に、メーターを見ないと聞きましたけど。
私は自分の耳を使います。私、特有のやり方ですが。もし何かが明らかに目茶苦茶だったら、その時はメーター等をチェックしますよ。私はGシリーズのコンソールを、その歪曲の選別方法ゆえ気に入っています。音割れしやすいより最新のSSLと違って、(Gシリーズのコンソールは)目一杯、作動させることができるんです。
どの部分があなたは自身を「優秀なミキサー」だと思いますか?それは、あなたがよく音を聴きわけるからですか?
いいや。わかりませんよ。私はこの仕事を本当に長い間してるし、自分自身のした過ちからも学んだと思いますよ、本当に。自分がどうして優秀なミキサーなのかなんてわかりません。多分、私はアーティストを理解し、彼らが何を求めているのか感じることができるからですよ。誰でも、幅広く言えば、誰でも機材などの装置の操作方法を学ぶことはできます。私はいつも若いインターンに言っているけど、誰でもこの機材の操作方法は一ヶ月かそこらでわかります。でも、それを本当の意味で「活かす」ようになるには、数年はかかるのです。わかるかい?もし、Bjorkのようなアーティストが、「これを “滝”のような音にしたい」(笑)といったら、彼らが求めているクリエイティブな表現を汲み取って、音響専門用語に置き換えなくてはならないんです。
他のコンプレッサーでは、単にサウンドそのものから命を奪い取ってしまったように聞こえるのです。でも、1176AEはそんなことはありません。サウンドを豊かで充実したものにするのです。素晴らしいですよ。
彼らのヴィジョン・・・
そう、彼らのヴィジョン―(想像しているもの)を理解しなくてはだめなのです。それを、理解できる言葉に言い換えなければなりません。それには時間と経験が必要なのです。私は長年にわたって、数々の風変わりな要望を受けましたよ(笑)。でも、常に誰に対しても聞く耳を持つべきなのです。つまり、ミキシング作業やレコードを製作すること、色々な人の視点や意見等、耳を傾けるのは良いことなのです。だって、私達はその一つひとつから学ぶ事ができるからです。私は毎日、新しいことを学んでいますよ。
あなたが模範としたい、または達成したいと思っている傑作のレコーディングはありますか?
ああ、たくさんありますよ。私が若かった時、12歳くらいから、自分のベッドルームにヘッドフォンをつけて座り、たくさんのレコードを聴きながらどうやったらそれらの音をだせるのか勉強していたものです。私はGrace Jonesやkraftwerkno のレコードを聴いたものです。そして、それらを聴きながら、どうやって音をだしているのか、どうやってレコーディングしているのか思いをめぐらせたものですよ。それは70年代終わりくらいでした。そして、1981年に私はスタジオで働き始めたのです。今のようにインターネットなんてない時代でした。
私がJacobs のもとで仕事を始めた時、私はとても幸運で、まだたくさんパンクやポスト・パンクバンドが存在していて、私たちはたくさんのレゲィバンドなど様々な違った仕事をしました。だから、自分があるバンドのレコーディングをしたら、そのバンドの分野がわかったのです。それと、電気関係やコンピューター関係のことも対処しなくてはなりませんでした。その当時はコンピューター技術やドラムマシーン等の初期の頃でした。私はFairlight やSynclavier等を使って仕事をしました。
コンピューターを早い時期に取り入れましたか?
ええ。そうだったと思います。私は、あるバンドが私にくれた初期のSound Tools 2 System(Digidesign)を持っていました。
きっと88年、89年ころですね?
90年頃だと思う。それから私がOlympicにミキシング作業用スウィートを建設した時、完全にPro Tools を基盤としました。私はいつもトップでいる為に、限りなく最先端にいるように努力をしてきたのです―テクノロジーの一歩先、トレンドの一歩先、できるだけ最先端をね。
いま取り組んでいるのは何ですか?
次の数週間で、再びMassive Attackのレコーディングに入ります。良い出来上がりになりますよ。本当にエキサイティングなレコードになるけど、それについてはまだ口外できないのですよ。なぜかというと、私はとても・・・ええっと何ていうんだい?―「迷信的」だからね。
気分転換で音楽を聴いたりしますか?それとも自分の自由時間には、耳を休ませてあげるのですか?
いいや、よく聴きますよ。
どんな音楽を聴くのですか?
ええっと、すべてのジャンルですね。つまり、私には4人子供がいて、彼らが私に聴くきっかけをつくってくれるのです。それは素晴らしいことだと思いますよ。私にはロックやthe Beatles、そしてオルターナティブ・ミュージックにはまっている息子がいて、別の息子はアーバン・ミュージックにはまってますよ。だらか、私の家庭はきわめて良好なんです。
もしUniversal Audioがあなたの為に、あなたの夢の商品をデザインするとしたら何になると思いますか?
私の夢の商品って何だろう?とっても面白いものになるでしょうね。それには、きっとディストーションがあるだろうし・・・なにかコントロール可能なディストーションのあるセッティングです。私は機材がちゃんと動いている音を聞くのが好きですよ。それに、サウンドに色づけしたり、特徴づけたりするプロセスが好きなんです。特に今は、我々はデジタル主流の時代を生きていますからね。私はハードウェアがサウンドの色づけをしたり、また特徴づけたりするのは重要だと思います。だから、そんなことをできるものがあるとしたら、私は嬉しくてたまらないでしょうね。もし君達が本当にサウンドを一種類だけではなく、複合的な方法で色づけることができるコンプレッサーをデザインできるのなら、本当にエキサイティングなことだと思いますよ。
