インタビュー
アーティスト:Matthew Knobel / Antelope OCX

“デジタルに、暖かさを持たせる”


「OCX-Vと10Mのセットを聴いてまず思ったのは、絶対手に入れなきゃってこと。すばらしい環境がさらにずっといいものになるよ」

 

フロリダ州Hollywood市で出生し72時間後にはNew York市のQueens地区に移り住んだ、“The Setai”スタジオのチーフ・エンジニア兼オペレーション・ディレクターであるMatt Knobelは、音響業界に入ったのは反抗的だった子供時代を埋め合わせることに他ならなかったと言いました。その後、予想外に状況は転じ、国内でもっとも独自色の強いメジャースタジオのオープニングで、技術的な役割を担いました。

 彼の人生で初めて長期間にわたる目標を定めるきっかけをくれたのは、地元の専門学校、“The Center For Media Arts”のレコーディング・エンジニアリング科プログラムでした。Mattはプログラムを楽々と合格し、しかし、例にもれず最小限の出席で―マンハッタンにある伝説的な“Media Sound”で、彼にとって業界初めての仕事を勝ち取ったのです。“Media Sound”や“Platinum Island”、“Powestation”等の一流ニューヨークスタジオで、実社会で必要不可欠な厳しい体験とともに、Mattのスタジオ運営や礼儀に関するレッスンが開始されたのでした。その後、Knobelは運送会社である“Musician Express”に移り、そこで彼は、プライベートにアーティストが所有しているスペースはもちろん、ニューヨーク市内外にあるすべてのレコーディングスタジオへの連絡網を広げたのです。

 思いがけなくも彼のキャリアが大きく転換したのは、Dave Laboltが彼をBilly Joelのキーボードテクニシャンとしてツアーに誘った時でした。その頃、Billy Joelは有名なロシアでのツアーを終え、オーストラリア、ニュージーランド、そしてハワイへと続く予定でした。Mattは笑いながら、彼は20歳になる年に、南太平洋へと送りこまれたことを話してくれました。Knobelのキャリアの第二段階は、当時開業したてのプロダクション会社であった“JSM Music”で新入社員として始まったのです。彼の仕事も会社も突然の急激な発展を経験し、Mattは“JSM MUSIC”のチーフ・テクニカルエンジニアになり、施設運用だけでなく、総額500万ドル以上かかった世界クラス4つのスタジオと12以上のMIDIプロダクション室のデザインや管理を任されたのです。

 同時期に、Mattのフリーランスのミキシングエンジニアとしてのキャリアも、Marc Cohn やDavid Wilcox等といったアーティストとの仕事経験を持つ、彼の友人/師匠であるプロデューサー、Ben Wischと共にスタートさせました。彼は考えつきもしないような多彩なキャリアを積み重ねていき、またバドワイザーのヒップホップな曲からビザカードの60人規模のオーケストラのレコーディングまでこなす、あらゆる技術的な経験を積んでいったのです。Mattにとって初めての共同プロデュースアルバムは、テキサス州オースティン出身のシンガーソングライター・Gina Fant-Seazのものでした。

 そして、運命的な依頼が彼の元に舞い込んできたのです。それは、Lenny Kravitzの為にPro Tools システムを週末にかけてセットアップするというものでした。Kravitzのサポートグループは、実際には彼らがセットアップ後にシステムを使いこなす人が必要だということに、気づいていなかったのです。その日の午後早くにKnobelは到着し、そこにデジタル・ギアが何ひとつないことに気づきました―ディレイ装置もリバーブ装置もです。Kravitzのスタジオとレコーディング哲学が「伝統的スタイル」だと言うのは、とても控えめ目な表現で、いや、もっと正確にいうならば、とても時代遅れだったのです。彼らの中では、70年代からある“Neve EQ”さえも、新しいハイテクのギアとして見なされていたのです。

 Kravitz彼自身が到着したとき、彼はMattと「ミスター・Pro Toolsの魔術師かい?」と挨拶し、そして始めは4日間の予定が10年にも及ぶ友情となり、Grammy賞で4年連続“Best Male Vocal Performance”、“Best Male Rock Performance”を独占するコラボレーションとなり、いままでのところ、全世界で2000万枚の売上を記録しています。

Kravitz との道程は、彼をMiamiの美しく、静かなSouth Beachへと導きました。多くのコラボレーションのキャリアと人生経験を集大成させスタジオを建設しました。手の届かないレベルの最先端の専門的技術と、時代を超越した価値と音楽制作のテクニックの受容、そして何より、ミュージシャンのクリエイティブなソウルへの尊敬と名誉を結合させたものなのです。