
Glenn Rosensteinは80年代NYのSigma Soundで経験を積んだエンジニア兼プロデューサーの一人です。 Madonna、U2、Talking Heads、そしてZiggy MarleyはRosensteinの素晴らしい才能の恩恵を受けた人々です。 最近、彼はNashvilleにある彼所有のスタジオで数々のヒット曲をプロデュースしています。Rosensteinは我々を招き入れてくれ、彼のド派手なPro Tools SystemやIcon Console がいかにスムーズにUAD Powered プラグインを導入しているか見せてくれました。
まず、最初から始めましょう。 あなたはNYで生まれ育ったんですよね?
ああ、そうだよ。 他の皆と同じように、僕は昔から音楽にとても興味があったんだ。 僕が育った家庭では、音楽が常にあった。 僕の両親はとても若くて、何が世の中でトレンドな音楽か、わかっている親だった。 だから、僕は父親と母親から The Beatles、The Rolling Stones やJimi Hendrixなど、当時流行っていた音楽についてとても良い教育をうけたんだよ。
これは素晴らしい事だと思うよ。なぜって、反対するんじゃなくて、むしろ本当に良い音楽をたくさん僕に与えてくれたんだからね。僕の両親は、僕が “エドサリバンショー”を観るのに、遅くまで起きているのを容認してくれたよ。
子供の頃、何か楽器を弾いたり、音楽を習ったりしましたか?
ああ。 僕はいまだに「ギタリスト」だよ。でも、「ギタリスト」の横に「※注」がついてる感じだ。どうしてかというと、僕は現在、Nashville に住んでいるからなんだよ。 ここではレストランのウェーターでさえ、自分よりずっと上手な「ギタリスト」なんだ(笑)。 僕はとうの昔に、自分が「セミ・ギタリスト」として活躍するよりも、音楽制作の側のほうがずっとチャンスがあると悟ったんだ。
音楽のバックグラウンドを持つというのは大きな得だよ。 言語を知っているように、本当にプラスなんだ。僕はギタリストとして出発して、次第に「エンジニア」として音楽業界で進むようになり、その後、エンジニアリングとプロデュース作業両方、そして必然的にフルタイムでプロデュースをするようになった。
どうやってエンジニアリングを習いましたか?現場でですか?
そうだよ。だいたいそうだね。初期の頃は、当時のテクノロジーでは、人々がコンピューターやレコーディング機器すべてを自宅に持つことなんてできなかった。自宅で持てるものといったら、主に4トラック機器かそれ以下だったよ。
その当時、そんなに多くのレコーディング・スクールやその種の学校はなかった。 レコーディングスタジオでは、指導制や後見制を容認する基礎構造があった。本当の「指導教育システム」だったんだ。
始めの頃は、僕は図書館に行ったり、地元のレコーディングスタジオで入り浸っていたりとできるだけ多くのことを学んだよ。成り行き上、Power Station の週末の夜間受付として採用された。Power Station で働いていた多くの有能なエンジニアの寛大さのおかげで、「こつ」を見せてもらったんだよ。
「インターンシップ」より一段上のもので、たくさんの意味で一段下のものだった。 例えばトイレ掃除や、あるミュージシャンのガールフレンドの為にドラッグを手に入れたり、クリーニング屋から洗濯物をピックアップしたり等、いろいろな雑用をしたよ。 それが僕にとって「学校」だったんだ。
でも、本当の理由があるのさ。なぜ1176やLA-2A、LA-3Aがどこにでもあるようになったのかには、とても明確な理由があるんだ。それらの機器は信頼できるし、音響的に美しいし、特徴となるトーンがある。それに、すべてにわたって頼りになるものになった。僕が20-30年前に働いていたすべてのプロのスタジオでは、少なくとも2-3個所有していたものだ。
Power Station にはどの位いたのですか?
そこには一年とちょっといた。それからSigma Soundに移ったんだ。 その当時、Philadelphia と New York にSigma Sound があった。 本当に素晴らしい経験だったよ。
僕はアシスタントエンジニアから始まってエンジニアになり、そしてSigma Sound全体のミキサーを経験した。 再び言うけど、その当時の音楽業界は現在とはとても違っていたんだ。当時、多くのアーティストはスタジオそのものを見ていて、ミキサー個人は、それほど重要ではなかったんだ。その当時、Sigma Sound はダンスミュージックのリミックスを専門にしていた。
その当時の素晴らしいダンスミュージックリミキサー、Shep Pettibone やJohn “Jellybean” Benitez、Francois Kevorkian等はたいていスタジオ自体で選んでいて、エンジニアーではなかった。
端的に言うと、多分僕は、実際の評価より、ずっと多くの仕事を得たよ(笑)。 なぜなら、スタジオが僕の雇用主だったからね。そこからは、雪だるま式に増えていったよ。

1988年に僕はMCAレコードのアルバムをプロデュースする為に、ここにやってきた。僕達がプロデュースしたレコードはあまり成功しなかったけど、僕はこの土地に惚れ込んでしまったんだ。僕はそれほどカントリーミュージックに関わってきてないけど、Nashville は住むのにとても心地良い場所だと思うよ。僕と妻は、娘を育てるのにここは最高だと思っている。
僕がNew Yorkを離れた当時、New Yorkにもううんざりしていたんだ。 New York Cityに生まれ育ち、32歳までそこで暮らしていたけど、僕は新しい変化を待ち望んでいたんだ。
僕がその当時Nashvelleで気に入っていたことは、この街には良いレコーディング・スタジオがあり、まあまあの値段でレコーディングできる場所、そして完備された機器やスタッフ陣が充実していたことなんだ。 当時、Nashville は近年のような人気はなかった。アメリカのレコーディング業界の穴場だったんだ。
でも、ここでは1988年当時、カントリーミュージックの大ブレイク以前について話しているんだよ。あの当時、Nashville はイカした秘密だった。Nashville に住み、ここがレコーディングの中心地として成長するのを見るのは楽しいよ。そういう場面の発展を目撃するのは、めったにないチャンスだったよ。
Nashvilleには本当にしっかり根の張ったコミュニティー意識があるように思えますね。
とても深いコミュニティー意識があるんだ。なぜなら、当時のNew York City やLAのようではなく、Nashville はとても小さな町だからだと思うよ。大部分の仕事は、Music Row と呼ばれるたった10スクエアブロックくらいのエリア内で行われていた。だからいつも同じエンジニアや、プロデューサー、ミュージシャン、作詞作曲家とよく遭遇していたよ。
New York や確かにLAでは、物事がもっと広く分散している感じがあったし、クリエイティブな交流がそこにはなかった。だから、Nashville はその小さい町という価値観から、コミュニティーをより相互依存しあうようにしていると思うよ。皆がお互いのことを知っているんだよ。ここでは隠し事できないんだよ(笑)。
Skylight はあなた個人のスタジオですね。あなたの自宅の一部なの?それとも離れの施設なんですか?
僕の自宅の中に建てたよ。ここに僕達の家を建てた時、スタジオを足したんだ。商業用のスタジオじゃあないよ。このスタジオは、僕らが働きなれたスタジオと同じように、特別に組み立てた本当によく設備が整っているものだ。 でも、僕らはどの商業用ルームとも競っていないよ。 僕らのクライエントと、自分自身の為だけになんだ。
他のスタジオでも仕事をするのですか?
ああ、もちろん。よくするよ。
たぶん、トラッキング作業の為ですね?
そうだね、ほとんどはトラッキング作業やミキシング作業にだ。我々が楽しんで働けるスタジオはもちろんありますよ。
ここ数年間、音楽業界は目覚しく変わった。まずビジネスの方法が違うし、一番何が違うかというと予算が下がってしまったことだ。競争力を保ち、働き続け、そして本心から好きであるけど、より高価なスタジオを利用する余裕がないバンドと仕事をするためには、かつてユニークと思うような何かを与えるようにしなければならないんだ。
でも、今では実際に僕が知っているプロデューサーは、スタジオか何かしらの形で自分が所有する機材、自分の空間、自分の働く場所を持っている。ここにあるスタジオと同じように設備が整っているか、もしくはベッドルームにあるシンプルなデジタル・オーディオ・ワークステーションだよ。(スタジオのようなものを持つことは)もう、選択なんかではなくなってきている。
僕はこの町にある僕がお気に入りのスタジオでも、New York や Toronto、LAのスタジオでも、ひっきりなしに働いている。今でも色々と移動するんだよ。商業用レコーディングスタジオは、ある一定の段階で消えうせていき、そしてそれは残念なことだけど、ある別のレベルでは、それと代わるものなんて何もないんだ。
あなたが「Pro Tools」をいつも使っているのは知っています。 あなたは “DAW”の早期導入者だったのですか?
そうだね。当初は、僕は「アナログ」ばかり利用していたんだ。だから、アナログ式からデジタル式レコーディングへの移行は、僕にとって格別好きなことでもなかったし、嬉しかったことでもなかった。デジタル式レコーディングに関わる音響について一抹の不安があったんだよ。
初期の 32トラック式3M機器を使って行ったプロジェクトを憶えているよ。 その当時、3Mは単に信頼のおけないものだったから、それを使うのに技術者1人はコントロールルームに必要だった。 それに音響的には、良い音をだすか疑わしかったんだ。
デジタル化は難しい移行だったんですか?
僕にとってはとても長くかかったよ。ほら!これ(インタビューを受けていること)が「移行」だよ。でも、僕のエンジニアリングからプロデュース作業移行への動き、そして多くのエンジニアリング作業の雑用放棄の中で起こったことの一つに、で、僕が一緒に仕事をしたエンジニアの中では、“RADAR” のサウンドが好評だった。僕は RADARを実際聴き、「おい、これは本当に納得できる音じゃあないか!」と思ったよ。音響的に良かったんだ。僕がアナログで好きな同じ要素がたくさん含まれていたからね。
一流のエンジニアはどんなサウンドでも素晴らしく仕上げる。 僕が一緒に働いていた才能溢れるエンジニア達は、デジタル化への移行を僕に簡単に示してくれた。 なぜかというと、、彼らが創り出すサウンドはもちろん素晴らしかったからね。 RADAR システムは、その機能の仕方においてアナログ式にとても似ている。 だから、僕の最初のデジタル化への移行は、比較的簡単なものだったよ。
その後、皆が経験したように自然な発展だった。“Digidesign 888 インターフェイス” は音響的に僕にとってやっかいなものだった。 でも、いったん“Digi” が192に搭載し動きだすと、僕はそれらの音の出し方にすっかり満足していた。だから、それは次のステップみたいなものだったんだ。
でも、もし僕のスタジオを見渡したら、Pro Tools、Digital Performer、Logic があるよね。その理由は、僕が一緒に仕事をする多くのアーティストは技術的にとてもこだわるので、彼らがスタジオに入ってくる時、もしバンドの一人がプログラマーだったら、彼もしくは彼女が使い慣れているのと同じものがあるんだ。
ビンテージのUniversal Audio ギアを使った経験はありますか?
そうだね。僕が今では「ビンテージ―古い」だからね。僕が使っているほとんどのUA社製のギアよりも、年を取っているよ(笑)。
それは僕らにとって、新しいテクノロジーだった。たまたま素晴らしいテクノロジーだったのさ。
でも、本当の理由があるのさ。なぜ1176やLA-2A、LA-3Aがどこにでもあるようになったのかには、とても明確な理由があるんだ。それらの機器は信頼できるし、音響的に美しいし、特徴となるトーンがある。それに、すべてにわたって頼りになるものになった。僕が20-30年前に働いていたすべてのプロのスタジオでは、少なくとも2-3個所有していたものだ。
UA社は最高のハードウェアと入手可能な最高のソフトウェアを製造している。疑いの余地はないね。Universal Audio社は一流のプロの為に、一流のツールを作っている。
今、あなたのシステムには UAD-2QUAD DSPアクセレレーター・カードが使われていますけど。
そうだよ。 完全に改造されているけど(笑)。
あなたのIconシステムで働きはどうですか?
スムーズに働いてるよ。僕の友人達の機器でもUADプラグインがよく使われているのを聞くし、僕自身、UA社製のすべての最高の機器を親しんでいた―だから、本当にそれを切望してたよ。僕は、その音の調性が欲しかったんだ。それで僕はわかったんだ―UA以外の誰が現存の彼らのハードウェアと競い合えるかってね。でも、僕はそれがどうやって機能するのか確かではなかったんだ。僕らはアクセル・カードでは、いいとこ限界に達していたからね。僕らはすでに6つのアクセル・カードを “Magma PE6R4i エクスパンション・シャーシ”に使っていたよ。
最終的な(話しの)落ちは、「よし、すべて調和して動くだろうか。」ということだった。 良かった事に、そのとおり上手くいったんだ。すべてスムーズに、簡単に、信じられないくらい良く動くんだ。微調整する必要はまったくない。 ただ通常のインストールをして、すべて上手くいったよ。
あなたのお気に入りのプラグインは何ですか?
言うまでもなく、1176、LNとSEの両方だ。これらは、僕にとって間違いなく頼りになるプラグインだ。今では1176でいっぱいのラックを持っているよ。実質的には、僕の必要に応じてたくさんの同じものを持っているんだ。
僕は Neveプラグイン、1073、そして1081をとても気に入っている。 僕は、それらNeveや、これらどんぴしゃりな特定のプラグ等をエミュレートするハードウェアを持っているよ。僕の一番のお気に入りのコンソールは Neve8068だ。 UA社製のNeve EQプラグは正確だよ。それを使うと僕の内部が温かく、ふんわりとしたファジーな気持ちにしてくれる。
それと、新しい Trident A-Range EQプラグイン。 “Bennet House”という今では倒産してしまったスタジオに、その素晴らしいTrident A-Rageがあったんだ。僕は、そこでたくさんレコーディングをしたものさ。そこのTridentは、僕のお気に入りだったんだ。この町の他のスタジオでは A-Range を取り除いてしまった。この町ではもう全くなかったんだ。 そして、UA社がこの小さな素晴らしい Tridentプラグインを世に出した時は、僕は「やったぞ!イェー!」という感じだったんだよ(笑)。 今では、とても有力なTrident A-Range のエミュレーションがある。本当に素晴らしく聞こえるし、とても使うのに便利だよ。
僕が特に好きなプラグは、EMT 250 リバーブだ。 僕がもっとエンジニアリング作業やミキシング作業をしていた頃、ハードウェア・バージョンを使っていたものだ。 UA社が EMT 250プラグインを世に出した時、「何てことだ!これは凄い!これで、旧友を再発見できるようになるよ。」と、思ったものさ。 そして、それは正しかったよ。
だから、それらは僕が特に気に入っているプラグなんだ。
でも、Universal社は本当に飛躍的なことをしている。まず、彼らはこれらの機器一つひとつのクリエイターであるという事実に始まり、ハードウェアを完全な方法でエミュレートする技術をもっているということ、そしてその使い方を示してくれている。 僕達が使ってきたすべてのプラグインは、とても確かな、信頼性のある音に聞こえるよ。
最近、僕らは UAD-2 QUADを Livingston Taylor のレコードをプロデュースした際に使った。そしてその際に、かなり多くのゲスト・アーティストが参加した。James Taylor、Carly Simon も参加した。Union StationのメンバーやTake 6のメンバーもプレイした。かなり多く集まったよ。Steve GaddやLeland Sklar等が参加した。
そのレコードは George Massenburgがミックスしたんですよね・
そう、George Massenburgがミックスした。Georgeは僕の頼りになるミキサーさ。彼は、いくつかの例外を除いて、僕が制作したレコードのほとんどのミックス作業をしている。
なかなか良いですね。彼は才能あふれるエンジニアですよね。
Georgeは目を見張るような才能の持ち主というだけでなく、僕の良い友人でもあるんだ。 僕は、Steve Marcantonioともよく仕事をするよ。
"でも、Universal社は本当に飛躍的なことをしている。まず、彼らはこれらの機器一つひとつのクリエイターであるという事実に始まり、ハードウェアを完全な方法でエミュレートする技術をもっているということ、そしてその使い方を示してくれている。 僕達が使ってきたすべてのプラグインは、とても確かな、信頼性のある音に聞こえるよ。”
あっ!そうそう!彼もUA社製ギアの支持をしてくれています。
彼は素晴らしく、本当に才能があり、それにとても音楽的なんだ。 多分2年前だと思うけど、彼は “AMCエンジニア・オブ・ジ・イヤー”を受賞したんだよ。
僕は、時々Chuck AinlayやGary Paczosa、それと John ‘Yosh’ Jaszczとも仕事をしている。 僕はとても才能ある若いエンジニア、Lij Shawと一緒に仕事を始めた。彼は このEast Nashvilleのオルタネイティブ・ミュージック・シーンの一部分のような存在だ。
彼らが今、僕が付き合っている連中だよ。みんな一流のエンジニアに、一流のミキサーだ。みんな素晴らしいし、みんなUA社の大ファンだよ。
素晴らしいわ! ところで、このLivingston Taylor プロジェクトのアプローチの仕方はどのようなものですか?
Georgeのレコードミキシング作業に対するアプローチ方法は、もちろん、とてもオーガニックなものだったよ。曲は従来の感覚で、とても良くレコーディングした。最近のポップ・ミュージックのプロデュースと比べると、とても “Vintage”だった。―でも、僕は“Vintage”という言葉が嫌いだよ。でも、ぴったり当てはまる言葉がないことを別にすれば、それはとても“organic―ゆっくりと自然に親しむような”レコードだったよ。まったくシンセサイザー等のエレクトロニックな音も使われていなかったし、ピッチ調整やループなどもなかった。僕らはテープ機として、DAWを使用したのさ。
それは、Livingstonと僕が、こうしなくてはいけないというアプローチではなかった。自然とそうなったんだ。でも、僕らがミックス作業に入った時、どのようにミックス作業に入るか、どのくらいオリジナルの曲に近づけたいのか等、自然と話し合いになった。もちろん、僕らはオリジナルの曲にとても忠実でありたかった。僕らは、たくさん派手なものや効果音を使いたくなかったんだよ。自然なものにしたかった。
だから、ミックス作業に関わり始めた時、Georgeは自分が使用するのに好きな機材を沢山持ち込んできた。彼はこれらの貴重なオーディオ機器を自分で考案するんだ。でも、僕らが彼の機材以外でやり始め、彼が最初に選んだのはUA社の FATSO Jr. プラグインだったよ。だから僕らは、それが僕達のレコードに貢献してくれたことに本当に満足しているよ。
僕らは、FATSO Jr.プラグインをバックコーラスと管楽器に使った。 そして、FATSOが本来すべき仕事をしてくれたよ(笑)。 FATSOは音を増強させ、盛り上げてくれるんだ。ハードウェアがするであろうちょっとした巧妙なことをしてくれるんだ。
何かちょっとした秘訣のテクニックを私達に教えてくれますか?
そうだね、Marsha、僕の秘密のテクニックと特別なコツは George Massenburg、Steve Marcantonio、そしてLIj Shawだよ(笑)。でも、本当なんだ。現実は、何も秘訣なんてないってことだよ。特別なレコーディング環境があるとか、皆が使っている機器を誰も考えつかないような使い方で使用しているとかなんて、一切ないんだ。
君も僕も、本当に良く精巧に作られているギアを使うこと自体が、それがUA社のハードウェアやその類似品であれ、秘訣そのものなんだよ。機材の使い方を習うことが、一流のエンジニアをつくり上げることであり、ハードウェアを上手に使うことであり、またソフトウェアを上手に使うことなんだ。
僕が思うに究極の秘訣とは、上手くレコーディングされ人の心を掴んで話さないヴォーカル、本当に格好いい曲、一流のエンジニア、願わくば優秀なプロデューサー、そしてすでに本当に良い装置がそのレコーディング環境にあること。それが僕にとっての秘訣だよ。
UA社は素晴らしいハードウェアと、現在入手可能な最高のソフトウェアのいくつかを製造している。疑いの余地はないね。Universal Audioは一流のプロのために、一流の機材を作っている。でもここで強調したいのは、一流のプロっているのはそれら一流の機材の使い方を知っているってことなんだよ。
